ニュースレター号

「吸収統一」を高らかに宣言、尹大統領の『新統一ドクトリン』の実現可能性は‘ほぼゼロ’

●「荒れた」光復節

 8月15日、ソウル都心の世宗文化会館で尹錫悦大統領出席の下、第79周年『光復節』慶祝式が行われた。韓国でこの日は1945年、日本による植民地支配が終わったことと、1948年に韓国政府が樹立したことを祝う日となっている。

 五つある国慶日のうちの一つであり、大統領にとっては最も重要な日だ。この日に発表される慶祝辞は、大韓民国という国の過去を振り返ると同時に現在を見極め、未来を描く、いわば国家の道標のような役割を果たすからだ。

 しかし今年の光復節は史上類を見ないものとなった。毎年恒例の政府主催の慶祝式に、独立運動家の子孫で構成される有力団体・光復会をはじめとする独立運動を称え継承する団体と、最大野党・共に民主党など野党が参加しなかったからだ。

 彼らはこの日、大韓民国臨時政府の首班・金九(キム・グ)の墓地があるソウル市内の孝昌(ヒョチャン)公園で別の慶祝式を行った。過去、1946年3月に左右陣営の政治的対立から『3.1独立運動』記念式典が別々に行われたことはあったが、『光復節』慶祝式が分裂したのは初めてのことだ。

8月15日、金九記念館の前で「親日反民族 尹錫悦政権 糾弾声明」を発表する共に民主党指導部。同党提供。


8月15日、金九記念館の前で「親日反民族 尹錫悦政権 糾弾声明」を発表する共に民主党指導部。同党提供。

 最大の理由は尹大統領の人事だ。直近の今月8日に就任した独立記念館館長人事がトリガーとなったが、今年1月の東北亜歴史財団、同5月の国史編纂委員会、そして先月の韓国学中央研究院という「3大歴史機関」(MBCより)のトップにすべて「ニューライト」に分類される人物が任命されており、不満が爆発するのは時間の問題だった。

 不満の本質は「親日派の重用」にある。ニューライトとは「反共」を主とするオールドライトが南北体制競争の終焉により時代遅れになったことや、盧武鉉政権下で親日派批判が高まる中、00年代前半に登場した集団で、植民地近代化論や初代大統領・李承晩の礼賛といった思想的な特徴を持っている。特に前者の観点を指し、韓国の進歩派はニューライトを「親日派」と位置づけ批判の対象としている。今回の一件は言うならば、韓国内でくすぶっていた歴史認識問題が顕在化した形だ。

 思想的・学問的な自由は保障されるという当然の前提の上で、尹大統領はなぜ敢えて、「自主」や「独立」といった歴史認識に重点を置くべき象徴的な政府機関のトップに「ニューライト」人士を任命したのか。その背景に日本への過度の忖度があるのではないか。光復会はここまでは踏み込まないが、野党や他の市民団体の批判は明確にこんな視点を含んでいる。

 昨年3月の徴用工裁判における日本企業の賠償金の「肩代わり」決定をはじめ、最近では佐渡金山がユネスコ世界遺産に登録される過程で「強制労働」の4文字を日本側に明確に認めさせることができなかった点などが背景となっている。野党や市民団体は尹大統領に背を向けているという構図だ。

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●尹大統領の「目論見」

 ここまで引っ張っておいて申し訳ないが、最も重要な記念日である光復節を前に持ちあがった陣営間の激しい争いをどう見るのかについては、別の記事に譲る。

 その代わり本記事ではいったん、尹大統領の『光復節』慶祝辞に焦点を当ててみたい。なぜなら、今回の演説を、尹政権は特別なものと位置づけていたからだ。

 昨年来「24年の光復節演説でこれまでの統一方案に代わるものを提示する」という声が政権の内外から次々に聞こえてきた。国策シンクタンク『統一研究院』を中心に関連する研究が進み、いくつかのシンポジウムで政権の考えの一端が示されたりもしした。

 尹大統領がなぜ「24年」にこだわったのか、その真意は直接聞いたことがないので分からないが、二つの背景が考えられる。

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 まず一つ目は、30年という節目だ。保守派と進歩派にかかわらず歴代の韓国政権が維持してきた『民族共同体統一方案』が発表されたのは94年の光復節のことだった。

 金泳三(キム・ヨンサム)大統領は当時、演説のすべてを南北関係に割き「わが民族はいつまでも別れて暮らすことができない」とし、「わが民族の意志と元気を一箇所に集めるべきだ。わが民族がひとつになり、新たな文明を先導する偉大な韓民族の時代を開いていくべきだ」と訴えた。

 『民族共同体統一方案』の説明は後段で行うとして、30年という一世代が経過する中で、冷戦終結後の「米国ひとり勝ち」の時代が終わり、対話と協力を元にした南北関係を再設定する必要性を感じることは、取り立て特別なことではない。

『光復節』翌日の94年8月16日の『朝鮮日報』。「自由・民主を原則とする統一方案を闡明」という見出しが見える。朝鮮日報より引用。


『光復節』翌日の94年8月16日の『朝鮮日報』。「自由・民主を原則とする統一方案を闡明」という見出しが見える。朝鮮日報より引用。

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 二つ目は、北朝鮮ならびに金正恩氏に対する失望が募っていったことだ。尹大統領は大統領候補時代(21年~22年初頭)から北朝鮮を「主敵」とSNSで明かし、「反共」パフォーマンスを繰り返し行うなど、南北関係において対決的な姿勢を崩さなかったが、そこには支持者向けのポーズのような雰囲気もあった。

 1960年生まれで朝鮮戦争を知らないこともあり、所属陣営のアイデンティティに沿って反共思想を披瀝しつつも、凝り固まった原則主義者のような姿勢ではなかったように見えた。

 例えば、大統領就任(22年5月)直後の22年8月の『光復節』演説には「分断」や「統一」といった単語が登場せず、筆者はその「淡泊さ」に驚いた記憶がある。

 この時には、金正恩氏に対し、非核化の「意志だけ(行為ではなく)」見せれば経済的な協力プログラムをすぐに稼働させ、その後、非核化プロセスの進展に従い経済・政治・軍事分野で協力を行うという『大胆な構想』を提案した。

 しかしこうした提案を拒否(無視)し、ミサイルや核といった軍事力の増強に力を注ぎ、ロシアとの協力という新たな活路を見出した金正恩氏に対する反感が増していったのではないだろうか。

 なお、23年の光復節の演説でも「統一」という単語は一度も出てこなかった。

金正恩氏は今月8日から9日にかけて、水害の被害にあった平安北道の義州(ウィジュ)郡を訪ね、被災民をねぎらった。この際の演説でも韓国に対する対抗心を露わにした。朝鮮中央通信より。


金正恩氏は今月8日から9日にかけて、水害の被害にあった平安北道の義州(ウィジュ)郡を訪ね、被災民をねぎらった。この際の演説でも韓国に対する対抗心を露わにした。朝鮮中央通信より。

 しかし、23年末の朝鮮労働党中央委員会第8次第9回全員会議で、金正恩氏が「北南関係はこれ以上は同族関係・同質関係ではない、敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国関係として完全に固着した」と述べたことで、尹大統領は全面対決の腹を決めたのではないか。

 「韓国を完全に分離しないと生存できないほど金正恩政権は弱っている」と、勝機を掴んだと思ったのかもしれない。

 『光復節』と並ぶ重要な国慶節である『3.1節(1919年の3.1独立運動を記念するもの)』の演説で尹大統領は、それまでと打って変わって「統一」という単語に8度言及した。そのロジックは今回と同じく「自由の拡張こそが統一」というものだ。

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●新たな「統一パラダイム」の中身

 尹錫悦大統領はこの日、正確に30年前の金泳三大統領のやり方を踏襲した。演説で南北関係「だけに」触れ、今回の決定が南北関係の今後においていかに大切なのかをアピールした。

 その名は『8.15統一ドクトリン』というものだ。既存の「方案」という単語の代わりに「ドクトリン(原則)」という単語を使ったが、韓国の統一部によれば以下の図のように整理できる。

筆者作成。


筆者作成。

・金正恩政権の否定

 何やらややこしいが、一つ一つ見ていこう。

 まずは大タイトル「自由・平和・繁栄の統一大韓民国」からだが、これはいわゆる「出オチ」となる。統一大韓民国という呼称からも分かるように、韓国が朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)を吸収統一する意志を明確にした。

 尹大統領は演説の中で吸収統一を明言していない。

 しかし「自由を剥奪された凍土の王国、貧困と飢餓に苦しむ北の地へと、私たちが享受する自由が拡張されなければならない」という部分、そして「統一大韓民国」という発言からは、明らかにこれまでとは違う統一論が浮かび上がってくる。少し解説しよう。

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 先に『民族共同体統一方案』について触れたが、これは同じ民族が共同体を構成しながら統一していこうというその名の通り、和解協力→南北連合→完全統一という三段階の統一論となっている。

 何よりも大事なのは、この統一方案に北朝鮮もまた合意していたということだ。

 史上初の南北首脳会談が開かれた00年6月、韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は『6.15南北共同宣言』の第2項で「南と北は国の統一のために、南側の連合体案と、北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認め、今後はこの方向から統一を指向していくことにした」と明かした。

 これは南北政府が韓国政府の『民族共同体統一方案』の二段階目にあたる「南北連合」に向かうことを意味する。

 ‘二国家二体制の連合体’を掲げる韓国と、先代の金日成(キム・イルソン)の時代から頑なに‘一国家二体制’を掲げ続けてきた北朝鮮がついに妥協したものだ。

 どういうことか。首脳会談で金正日総書記は「完全な統一までは今後、40年、50年がかかると考えている」と述べていた点にヒントがある。

 つまり、北側の「低い段階の連邦制」と南側の「連合制」のいずれも、軍事権と外交権を南北がそれぞれ保有したまま緩やかな連合体(南北連合)を一旦のゴールとするものだ。

 そして、最終的な統一については南北連合内に設置する「南北首脳会議」「南北閣僚会議」「南北評議会(国会の役割)」などを通じ議論するという「オープンな未来」を設定していた。

 このように「統一はプロセスである」という合意が、南北初の首脳宣言の核心であり、当時の閣僚に言わせると「合意が最も難しかった部分」でもあるのだが、それだけに意味のあるものだった。

00年の南北首脳会談当時の様子。金大中大統領(左)と金正日総書記。青瓦台提供。


00年の南北首脳会談当時の様子。金大中大統領(左)と金正日総書記。青瓦台提供。

 その後、この合意に沿って金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で南北の人的・物的交流は最高潮に達する。

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 しかし保守派の李明博政権に入り、北朝鮮の2度目の核実験や哨戒艦『天安』爆沈事件、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件が続く中、南北の交流は途絶える。なお、この時に李明博大統領のブレーンを務めた人物の一人が、現政権で外交安保政策のタクトを振るう金泰孝(キム・テヒョ)現国家安保室第一次長だ。

 今回の内容について金第一次長は既存の『民族共同体統一方案』の問題点として「何をどうするか」が含まれていなかった点を指摘しつつ、これを二つの側面から補完するものと説明する。

 まずは、統一を南北ふたつの政権間の交渉ではなく「韓国の国民と北韓の住民」が主体として参加するものとして捉え直すものだ。

 そしてもう一つは、北朝鮮が30年前も今も依然として全体主義・権威主義勢力の一員として存在している中で、これ以上、北朝鮮の善意を待つのではなく「先制的に実践し導く」という姿勢への転換だ。

 どういうことか?これらはひと言で「金正恩政権の否定」と整理できる。

 統一の主体を北朝鮮住民に設定することで、金正恩政権と住民を切り離す一方、金正恩政権を「変化する主体」から「変えるべき対象」と見なすものだ。

 この延長線上に「統一大韓民国」という言葉が登場している。そこには金正恩政権の意志が存在する余地は一つもない。

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・北朝鮮住民への直接的なアプローチ

 ドクトリンの内容に戻ろう。この中で特徴的なのは「3大推進戦略」の中の2番目にある「北朝鮮住民たちの自由統一に対する熱望を促進する」という点と、「7大推進方案」の中の4番目にある「北朝鮮住民の『情報アクセス権』の拡大」だ。

 これは、北朝鮮住民たちが、自由を抑圧する金正恩政権と決別できるよう韓国政府が支援していくというもので、統一部の解説資料によると「(北朝鮮住民を)自由統一の強力な友軍」に作り上げる目的の下に行われる。

 そのために「北朝鮮住民たちが多様な経路と方法により、外部の世界に触れられるよう積極的な努力を傾ける」としている。

15日、演説する尹錫悦大統領。韓国国営放送KTVよりキャプチャ。


15日、演説する尹錫悦大統領。韓国国営放送KTVよりキャプチャ。

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●「ドクトリン」は実現するのか?

 尹錫悦大統領の意欲的な発表であったが、これが実現するのかという問いには「NO」と答える他にない。

 その理由は三つある。

 一つ目は、韓国社会の合意がないことだ。

 先に『民族共同体統一方案』の説明をしながら、「何よりも大事なもの」として南北間が統一方案に合意した点があるとしたが、当時の統一方案には韓国内の広い合意があった点も同じくらい重要な事実だ。

 『民族共同体統一方案』の基となった89年の『韓民族共同体統一方案』が作られる際、韓国の与野党・在野の市民団体・学者などに幅広い意見を求めたのは有名な話だ。

 当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領は民主化以降はじめての選挙で当選した人物とはいえ、独裁者・全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の右腕だった人物だ。しかし政府の立場に反対する進歩派の人物や政党にも広く話を聞いた。統一研究院(当時は国土統一院)によると、その回数は258回にのぼったとされる。

 しかし尹政権が今回、新たな「ドクトリン」を定める中で、こんな開かれた討論や意見聴取の機会は存在しなかった。

 与野党の合意も当然存在せず、国会で正式に方案として採択されることもない。

 このため、例えば次回の大統領選挙(27年3月)で進歩派の人士が大統領に当選する際には、すぐに破棄されることになるだろう。その推進力はあまりにも弱い。

盧泰愚(ノ・テウ)大統領。南北関係に大きな足跡を残した。大統領記録館提供。


盧泰愚(ノ・テウ)大統領。南北関係に大きな足跡を残した。大統領記録館提供。

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 二つ目は、北朝鮮が反応しないことだ。

 演説の中で尹大統領は「南北当局間の実務レベルの「対話協議体」の設置を提案する」とした。ここで「緊張緩和を含め、経済協力、人的往来、文化交流、災害や気候変動への対応に至るまで、どんな問題でも扱える」とのことだ。

 しかし、金正恩氏がこれを受ける可能性は限りなくゼロに近い。自身の体制を根本から批判し、政権からの離反を呼びかける尹政権と対話をする必要性はどこにもない。

 尹政権も分かってやっているのだろう。「和解と協力」という、過去の保守政権も否定しなかった価値に全く言及せず、「民族」という単語を一度も使わなかったことがその証左となる。

 このように、尹政権の呼びかけがポーズに過ぎないとしたら、また別の話になるが、そうだとしても次の理由により長続きはしないだろう。

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 三つ目は、南北衝突の危険性から尹政権の動きに対し、周辺国がストップをかける可能性があることだ。

 先に触れたような「北朝鮮住民の『情報アクセス権』の増進」は、金正恩政権にとっては「政権転覆工作」以外の何ものでもない。金正恩政権にとって鎖国政策が政権維持に欠かせないことから、この部分は死活問題となるため、苛烈な衝突が予想される。

 既に今年5月末から韓国からの「体制批判ビラ」と北朝鮮からの「ゴミ風船(一部は汚物風船)」のやり取りを経て、軍事境界線での拡声器放送の再開(双方とも)へとエスカレートしている点は見逃せない。

 おそらく尹大統領や政権幹部たちは金正恩政権に対し「あと一押しで倒れる」と考えているのだろう。対話を遮断し、正面から吸収統一を押し出し、住民に離反を呼びかけることで勝負をかけている。

 しかし南北対立76年の歴史の中で、こんな韓国の目論見を理解できない北朝鮮ではない。激しく対応し、別の方向(例えばロシアや中国)に活路を求め、尹政権に逆に揺さぶりをかけてくるだろう。

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●保守の没落と韓国社会の貧困

 見てきたように、尹錫悦大統領の「ドクトリン」が実現する可能性は高くない。

 そればかりか、尹政権が足かけ2年にわたる議論を経て意欲的に出したアイディアが、韓国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)大統領を彷彿とさせるような吸収統一宣言であったことに、筆者は失望を禁じ得ない。韓国の保守陣営の小粒化、理念の貧困さを示す何よりの証左と言えるだろう。

 しかしながら、それを批判して悦に入ってばかりはいられない。北朝鮮住民の自由が著しく制限され、貧困の中で放置されていることは事実であるからだ。

 ではどうすれば良いのか。韓国社会が広く南北関係の今後について議論をたたかわせ、合理的な政策を出す以外にはない。韓国社会が団結した時にこそ、朝鮮半島情勢を動かすことができる。

 しかし冒頭で言及したように、今年の『光復節』慶祝式は史上はじめて政治勢力ごとに別れて行われた。互いに主張したい正当性あるのだろうが、これが朝鮮半島問題に臨む韓国社会の正しい姿であるとは、私にはとても思えない。

 そんな意味で、苦みだけが残る『光復節』となった。

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