ニュースレター号

[29号] コラム「日韓関係」を追放するとき、など全8トピック

 新年のご挨拶をするには遅い時期となりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

 今日から毎週金曜日にジャーナル形式のニュースレターをお送りいたします。いわば「本編」にあたり、サポートメンバーの皆さんだけが全文お読みいただけます。

 能登半島地震のニュースは、韓国でも連日大きく取り扱われています。主要局のメインニュースでは必ず1つか2つ関連ニュースが報じられ、特派員は現場に張り付いています。公営放送KBSでは特集も組まれています。

 韓国でもここ数年、地震が増えていることや、多数の原発を抱えることも関係しているのでしょう。「他人事ではない」という認識が広まっていることを感じます。

 読者の皆さんの中にも、本人もしくは親類や知人が被災された方がいらっしゃるかもしれません。ご無事と平穏な日常への復帰が速やかに行われることを願ってやみません。

 今号の目次は以下の通りです。

  • 巻頭コラム:「日韓関係」を追放するとき

  • ドキュメンタリー紹介:『日本人、オザワ』(韓国KBS)

  • 読書体験:박완서『그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까』(朴婉緒『あんなにあった酸葉(すいば)をだれがみんな食べたのか』)

  • ショートニュース

  • カルチャー:映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』〜脱北を忘れてはならない〜

  • あとがきに代えて:こんな形でやっていきます

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◎巻頭コラム:「日韓関係」を追放するとき

 ジャーナリストという職業柄、いたるところで日韓関係という単語を使ってきた。ここ数年に限っても、元‘慰安婦’問題、元徴用工問題、レーダー照射、輸出規制、安全保障などを解説する際に、この四文字を乱発してきたと言ってよい。需要と供給はこの業界にもある。日韓関係への分析が日本社会で求められてきた証左でもあるだろう。いっときは「日韓関係はどうですか」というのが、少しでもこの業界に関わる者にとって半ば常套句、天候を尋ねるような挨拶にすらなっていた。良くても悪くても苦笑いがついてまわる点で天候とは異なるかもしれないが。

 しかし私は2年くらい前から、こんな日韓関係という単語を明らかに毛嫌いするようになった。今なおその思いは強まるばかりである。なぜだろうかと改めて自問してみると、この単語が過去、小さなものを隠ぺいする大きな風呂敷として機能してきたという答えに突き当たる。日韓という二つの国家を並べ論じることで、その間に存在する、悩み生きる人間の営みを些細なものとして扱ってこなかったかと、ケチをつけたいのである。

 昨年3月、日韓関係が改善に向かうという記事が両国のメディアに溢れた。日本企業が元徴用工に支払うべき賠償金を韓国政府傘下の財団が肩代わりするという、韓国側の「英断」が背景にあった。この時、私にも日本の著名ラジオ番組から出演依頼が来た。私は思いきって「日韓関係の改善とはいったい何なのかを問い直したい」と逆提案した。

 当時のメールを読み直すと「いま言われている改善はあくまで政府間の関係改善であり、日韓の市民の顔が見えません。今回の裁判の原告たちはいずれも10代前半の時に騙され、家族を脅すなど強制的な力の下で日本に働かざるを得なかった人々です。こういった『個人の話』である、ということを感じられるような言及があれば良いと思います」と送っていた。番組側も真面目に対応してくれ、生放送ではこれはあくまで原告個人と被告企業の話であり、政府が出てくる筋のものではないと伝えることができた。

 日韓関係という言葉はそもそも、安全保障と強く結びついた概念である。1965年の日韓国交正常化がその最たるもので、日韓が西側の砦の一つとして機能するという意味合いは当時も今も変わらない。日韓関係の悪化は安全保障の悪化であり、改善はその強化につながる。こう考える場合、日韓関係という言葉には敵味方、戦争、軍備といった概念が内在しており、これを乱用するにしたがい平和や自由という価値が逆に遠ざかってしまうのだ。前述した昨年の尹錫悦氏の決断の背景にも、東アジアで高まる軍事的緊張への対応という側面「のみ」が存在したことは説明するまでもないだろう。 

 私は新年を迎え、改めて「日韓関係」のような単語は無くなってしまえという思いを強くしている。チリの国民詩人パブロ・ネルーダは身近な題材を温かく詠ったオードという詩を多く残した。その中に『貧乏へのオード』がある。いつでもどこでも庶民について回る貧乏を擬人化し、遠く寒い月に追いやった上で、地球の豊かさを震えながらとくと眺めるがよいとする人間賛歌だが、同じように日韓関係という言葉もアンドロメダの彼方にでもうっちゃってしまいたい。その代わりに、より人の顔が見える日韓市民関係、日韓外交関係、日韓平和関係といった単語を充てて、知らず知らずの内に政府に思考を預けることから離れていきたい。

 すでにお気づきかもしれないが「日朝関係」も同様である。朝鮮民主主義人民共和国という国には、独裁者の金正恩氏だけが住んでいるのではないからだ。このままでは北朝鮮の庶民の顔を見失いかねない。本コラムは今年一本目のコラムである。今後、以上のような主張をメディア従事者にも積極的にはたらきかけ、少しずつ「日韓関係」という単語を減らしていくことを新年の誓いの一つとしたい。

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◎ドキュメンタリー:『日本人、オザワ』(韓国KBS)

 私のパソコンのブックマーク(お気にいり)には、韓国の各放送局のドキュメンタリー番組ページへのリンクをまとめたものがあります。その数はざっと30。定期的に巡回しながら良さそうなドキュメンタリーをチェックするのですが、年明けに興味深いドキュメンタリーを見付けたので紹介します。

 タイトルは『日本人、オザワ』で、日本のNHKにあたるKBSの「ドキュ インサイト」という番組が昨年12月21日と同28日に放映した二部作です。

 はじめは文字だけ眺めて「はて、今になって小沢一郎のドキュメンタリーをなぜ作るのか」と思ったのは内緒です。再生してみると、市民運動を行うシーンから始まります。そうです、本作は日本で約30年にわたって日韓連帯労働運動を行ってきた、尾澤孝司さんと尾澤邦子さんご夫婦の足跡を追ったドキュメンタリーなのです。

番組タイトル。「日本人」よりも「日本の人」の方がニュアンス的に正しいかもしれません。


番組タイトル。「日本人」よりも「日本の人」の方がニュアンス的に正しいかもしれません。

 2部、約100分に及ぶ本作では、韓国に進出したデンソー、サンケン、シチズン、スミダ電気といった日本企業が、現地の労働者をまるで道具のように扱うことで生まれた労働争議を二人がどのように闘ってきたのかが存分に語られます。

 キーワードは「遠征闘争」。日本本社が韓国の現地法人や工場を突如閉鎖したり、または労組との協議もないまま数十から数百人を一斉解雇するといった出来事が起きる際に、韓国から労働者が日本にやってきて直談判することを指します。

 尾澤さん夫婦は、いわば遠征闘争における日本側の窓口であり、中心的存在として運動に関わってきたのです。

 尾澤邦子さんが初めて韓国の労働争議に関わったのは、1989年11月の韓国スミダ電気の工場閉鎖がきっかけでした。同社はファックス1枚で馬山(マサン)市(現・昌原チャンウォン市)の工場閉鎖と450人の労働者の全員解雇を決めます。背景には邦子さんが「渡り鳥企業」と呼んだ社側の事情がありました。より安い人件費を求めて他国へ工場を移そうとしていたのです。権利が侵害されたと立ち上がった韓国側の労組から、4人の女性労働者が東京・葛飾のスミダ電気本社へと遠征闘争に訪れます。なんとか会社側の理事に会うも、許された時間はわずか15分。「歯が震えるほど悔しかった」という4人は、会社前で断食闘争(ハンスト)に突入します。

尾澤邦子さん。番組をキャプチャ。


尾澤邦子さん。番組をキャプチャ。

 非常に重苦しい雰囲気で番組を見ていましたが、なんとここで全く予想できなかった出来事が起こります。現地の日本の市民が共に立ち上がり「リレー断食」が始まったのです。ハンスト現場は次第にお祭りになっていったといいます。当時の映像が残っていますが、地元の労働組合の男性が「韓国は遠いかもしれないが、我々は地元の労働者なのでやる気があれば365日の闘争だってできる」、「だいたい日本が韓国を36年間植民地支配し、やれるだけの悪事をやった。そういう経験を持っている我々は、一片の良心がある人間だったら、二度とこういうことをやってはいけない」とマイクで語る姿は鳥肌が立ちました。

 この時に運動に参加したたくさんの日本市民の中に若い尾澤邦子さんの姿がありました。当時、遠征闘争に訪れた韓国の労働者たちから「文化部長」と呼ばれるほど率先して運動を支えました。そして90年6月9日、ついにスミダ電気本社は労働者に謝罪すると共に解雇を撤回します。会社は閉めましたが、238日にわたる闘争期間中の給料や退職金、さらに再就職などに役立てる生存権対策資金を勝ち取ったのです。4人の韓国人労働者は支援者たちからスカートを送られ、着飾って喜びます。この辺は時代かもしれませんが、心温まる光景でした。

 この時に4人の一人はこう述べています。

 「私たちは生存権を剥奪された労働者として、怒りを抱いている時に皆さん(支援者)と出会いましたが、皆さんは私たちの心を人を愛せるように変えてくれた。そして人と人が共に生きる世の中がいかに美しいのかを、皆さんと一緒に生活する中で感じました」。

 このひと言を聞けただけでも素晴らしいドキュメンタリーでした。

 尾澤邦子さんはこの時の経験から1992年から2年間かけて韓国に留学しています。

 一方の尾澤孝司さんは全共闘世代。日大で学生運動を行い、三里塚闘争を通じ邦子さんと出会い1978年に結婚します。邦子さんと共にいくつもの遠征闘争支援に関わることになりますが、その動機を「戦後アジアに謝罪と補償をしたのか。韓国にはそうしなかった」、「韓国に進出した日系企業はそういうものを引き継いでいる。その責任をまず日本の民衆として果たさなければならないと思って支援を始めた」と振り返っています。

尾澤孝司さん。番組をキャプチャ。


尾澤孝司さん。番組をキャプチャ。

 遠征闘争を通じては良い結果が出ることも、そうでないこともありました。03年に韓国シチズンが174人を解雇した際には8か月を闘い勝利するも、06年に馬山で起きた韓国山本製作所が71人を解雇した際には、最後まで面談を拒否する会社の前に運動を整理したこともあります。

 そんな中、尾澤孝司さんが逮捕される出来事が起きます。

 2016年9月にサンケン電気(埼玉)の韓国支社である韓国サンケンが34人の労働者を解雇しました。この時には229日の闘争の結果、解雇撤回を勝ち取りますが、20年7月になって韓国サンケンは廃業を決めます。工場清算を前に、重大事項がある際には労使間の協議をすべきという合意は守られませんでした。

 そしてまた闘争が始まり、21年5月、尾澤孝司さんは警備員との押し問答の中で逮捕されます。容疑は暴行と業務妨害。当時の映像からは暴力を振るったようには見えない中での逮捕でした。考司さんはその年の12月まで約7か月にわたって拘留され、ようやく保釈されました。

 サンケンとの闘争は、邦子さんが株主総会で会社の不正を直接訴え、韓国ではハンストも行うなど最後まで力を振り絞りますが、社側の頑なな態度を前に22年7月に惜しくも終了します。一方、デンソーを相手どった労働闘争では、韓国ワイパーという会社の清算を防ぐことはできませんでしたが、三度に及ぶ遠征闘争の結果、清算慰労金や再就業のための雇用基金を勝ち取れたとします。この過程でも、日本と韓国の市民社会の連帯が光っていました。

私と同じ(?)群馬県出身の尾澤邦子さんは、最近ではこんな運動にも参加しているそうです。番組をキャプチャ。


私と同じ(?)群馬県出身の尾澤邦子さんは、最近ではこんな運動にも参加しているそうです。番組をキャプチャ。

 一方、孝司さんの裁判には、韓国の市民社会も支援します。国会議員68人の嘆願書を集め、共に闘った韓国側労組の人物が法廷に証人として立ち、考司さんがこれまでいかに日韓市民連帯に尽力してきたか、暴力を振るう人物でないかを訴えました。23年9月の判決は罰金40万円。支援者たちは不当判決と声を上げています。

 そして番組は最後、日東電工の韓国工場清算(閉鎖)に立ち向かう新たな遠征闘争の幕開けと共に、終わります。

 駆け足で番組を振り返ってみましたが、尾澤さん夫妻の足跡を通じ、日韓の労働運動連帯の足跡を韓国の視聴者は十分に理解できたのではないでしょうか。私もこれまで、サンケンに関するニュースを少し読んだ程度の、いわば全くの門外漢でしたがとても得るものが多いドキュメンタリーでした。

 冒頭のコラムでも書いたように、大上段からやれ日韓関係だ安全保障だと語ることで見落としてしまう日韓の真の交流がここにありました。

 番組はYouTubeで無料公開されています。コメント欄には「涙が出る」、「尾澤さんのように熱く生きているのか」、「韓国の責任者は何をやっているのか」といった韓国の視聴者の感想が並んでいます。リンクを貼り付けておくので一度ご覧ください。日本語が多いのである程度内容が分かるかもしれません。

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◎今週読んだ本:박완서『그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까』(朴婉緒『あんなにあった酸葉(すいば)をだれがみんな食べたのか』)

 一昨年、『韓国学ハンマダン』(岩波書店)という本を、韓国で知り合った少壮の日本人研究者の方達と一緒に世に出した。こう書くといかにも共著者としてしっかり参加したかのようだが、実は「韓国の発展を妨げる南北分断」という4000字程度のコラムを寄せただけだ。

 コラムは「韓国を知ることと南北朝鮮の分断を知ることは必ずしもイコールではないものの、後者を知らずに前者を‘深く’知ることはできない」という一文で始まる。私が韓国に来て20余年、社会や政治について学べば学ぶほど、南北分断が今なおいかに多くの影を落としているのかを改めて感じるという趣旨だった。

 そして、南北分断の中心には朝鮮戦争が鎮座している。1950年6月の朝鮮民主主義人民共和国による「南侵」に始まり、53年7月の「休戦協定」まで続いた戦争により、当時の朝鮮半島の人口(北側約1000万人、南側約2000万人)の1割近くが死に、その数倍が身体や心に傷を負った。さらに半島の北側のほとんどは米軍の爆撃により焦土となった。

 しかし、これは言わば「歴史としての朝鮮戦争」理解に過ぎない。実際に戦争を経験した南北の市民が持つ「記憶としての朝鮮戦争」は別に存在しているからだ。そしてこれこそが、南北分断の解消を難しくする一因となっている。記憶は再生産され、互いに許すことを妨げるためだ。

 一方で2020年代の今、この「記憶」には普段なかなか接することができなくなっている。いくつかの理由がある。一例を挙げると韓国社会において朝鮮戦争の悲劇性は当たり前のものとして受け止められていること、経験者が高齢化したこと、戦争中に韓国の軍警が行った韓国住民虐殺の真相解明というような、今なおイデオロギー対決の現場となる分野が存在することなどだ。語られないが存在している、朝鮮戦争はそんな哲学的な命題となりつつある。

 今回紹介する朴婉緒の小説は、そんな記憶としての朝鮮戦争を正面から扱ったものと言える。

韓国語版書籍。美しい表紙だ。筆者撮影。


韓国語版書籍。美しい表紙だ。筆者撮影。

 ややこしいので先に説明すると、私はこの小説を韓国語で読んだが、日本でも翻訳版がいくつか出ている。最近のものでは昨年に影書房から、朴婉緒『あんなにあった酸葉(すいば)をだれがみんな食べたのか』というタイトルで発売されている。こちらは同じ朴婉緒が書いた続編の『あの山は本当にそこにあったのか』と合わせて一冊になっているので、お薦めしたい(宣伝ではない)。

 韓国で1992年に出版された本書は、1931年生まれの作者の幼少時代から19歳までの時代を振り返る自叙伝に似た内容となっている。坂者が序文で「こんな文章を小説と呼んでよいのか分からない。純粋に記憶力だけに頼って書いてみた」と明かしているように、苦労しただけ他にはない書き方となっている。

 本書は大きく、三つの時期で構成される。まずはパクチョクコルという、開城(ケソン)郡(現・北朝鮮開城市)に近い開豊(ケプン)郡にある生まれ故郷の村での幼年時代、次にソウルの峴底(ヒョンジョ)洞での学生時代、最後に、ソウル市内を転々としながら朝鮮戦争を迎える時期となる。

 31年生まれという年齢からも分かるように、作者の幼少期は日本による植民地支配下にあった。とはいえ、パクチョクコルでの描写には日本人が登場する訳ではないし、日本による統治の影響も少ないといってよいだろう。それよりもここでは、美しい筆致で表現された当時の田舎の暮らしが、目の前に迫ってくるようである。当然わたしは見たこともない風景だが、朝鮮の30年代の一断片に触れた感触があった。

 日本の存在感が感じられるのは、作者がソウルの小学校に入ってからだ。日本式の教育や天皇への儀礼、創氏改名といった話が次々と出てくる。一方でソウルの下町の生活の様子が細かく描かれ興味は尽きない。余談だが、朴婉緒が住んだ峴底洞に私も8年間住んだことがある。坂の多さや過去に貧しい地域であったという逸話が思い浮かび物語により一層のめり込んだ。さらに物語のキーパーソンである兄の徴用といった当時の世情も生々しく迫る。

 田舎のパクチョクコルと都会のソウルを行き来しながら、主人公・朴婉緒が成長し変わっていく姿は、青春小説としても秀逸だ。この時に背景に揺れるのが「シンア」だ。はじめて聞く植物だが、日本では「酸葉」と訳されることが多い。他に「イタドリ」という訳もある。説明によると、6月から8月にかけて山や丘で白い花をつける植物で、葉や茎を剥いて食べるという。酸っぱい味がすることからこの名がついている。

 物語が大きく動くのは1945年の「解放」すなわち植民地支配の終焉からだ。これ以前の内容が、幼い少女が世の中と出会うものだったならば、ここからは世の中に振り回されていく。植民地時代に叔父が官吏だったことで、パクチョクコルの生家は破壊されかけ、米ソによる北緯38度線での南北分断は開城という都市を分断してしまう。開城にははじめ米軍が、次にソ連軍が進駐したという描写からはコミカルな印象すら受けるが、事態は深刻だった。「ダヴァイ」というロシア語が流行し、財産や作物、女性が「奪われる」心配をすると共に、南北の往来が次第にできなくなる様子にも触れている。

 さらに、国家建設をめぐり南側社会を二分した左右対立の中で、兄が左派運動家の「パルゲンイ(アカ)」となり母が心を痛める描写もある。この部分からは、歴史としての知識に人の息吹と血肉が宿るような印象を強く受けた。

 そして運命の朝鮮戦争が始まる。作者が当時住んでいたソウル北部の家にあっという間に北朝鮮軍が押し寄せてくる。混乱の中、一家は食料入手に困り、兄は義勇軍として北朝鮮軍に強制的に参加させられる悲劇も起きる。史実では50年6月28日にソウルは陥落し、9月28日に再び韓国が取り戻することになるが、朴婉緒一家はその間ソウルに留まり続ける。この時に北朝鮮に協力したと見なされ、一家はスパイの嫌疑をかけられてしまう。作者はあちこちの愛国団体に調査と尋問、そして侮辱を受け、やむなく北朝鮮幹部に食事を提供していた叔父は殺される。さらに兄は満身創痍で北側から逃げ出してくるなど戦争は一家に残酷に襲いかかった。歴史に翻弄される、では済まない現実がそこにあった。

 ソウルを取り戻した韓国・国連軍は北朝鮮へと攻め入るも、中国の人民義勇軍が参戦したことで、韓国はふたたびソウルから撤退する。この51年1月4日の「1.4撤退」によりがらんどうになったソウルに朴婉緒一家が残る場面で小説は終わる。この時の朴婉緒の「決意」はその後、遅咲きながらも韓国最高の小説家の一人として生きる未来を予感させる。

 朴婉緒ならではの柔らかくしっとりとした印象に残る表現が多い本書だが、「勝利の時間はあっても寛容の時間はあってはならないというのが、イデオロギー争いの特性のようだ」という一文にはハッとさせられた。南北分断を解消するためのカギではあるまいか。

 さらに本書は、韓国の市民がいかに激動の現代史を歩んできたかの証明でもある。朴婉緒が生きた1931年から2011年までの間に、植民地そしてそこからの解放、南北分断、朝鮮戦争、軍事独裁、民主化に経済発展と、日本とは全く異なる歴史が存在する。その一端を鮮やかに書き出したと言えるだろう。ぜひ手に取ってほしい一冊である。

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◎ショートニュース

(1)大統領室が「第2付属室」の復活を検討…金建希夫人のスキャンダル隠しとの指摘も

 ニュースレター27号でお伝えしたように、先月28日、韓国の国会で尹大統領の夫人・金建希(キム・ゴニ、51)の株価操作疑惑を捜査するために特別検事を導入する法案が可決されました。与党は投票をボイコットしています。しかし5日、尹大統領は拒否権を行使し、法案はふたたび国会へと戻りました。世論調査では有権者の6~7割が同法に賛成していることから世論の反発が予想される中、大統領室が「第2付属室」を復活させると韓国メディアが報じています。

 「第2付属室」とは、大統領の配偶者のスケジュールや行事への出席、発信するメッセージなどを管理するための部署で、担当秘書官が任命され5~10人のチームで運営されるものです。尹大統領は就任の際に公約通りこれを廃止しましたが、その背景には、当時すでに経歴詐称で国民向け謝罪会見を行った金建希氏に対する社会の視線を避ける目的がありました。

金建希さん(左)。最近ではめっきり写真が公開されなくなった。大統領室提供。


金建希さん(左)。最近ではめっきり写真が公開されなくなった。大統領室提供。

 しかし今回、拒否権を行使したことで世間の注目が再び金建希氏へと集まりつつあります。韓国の調査報道メディア『ニュースタパ』が入手し今月12日に報じた同事件に関する検察の総合意見書には、金氏と母チェ・ウンスン氏が株価操作に加担したと疑われている銘柄で約22億ウォン(約2億4000万円)の利益を得たと明記されています。なお、金氏が株価操作にどのように関わっていたのかの捜査は止まったままです。

 こうした点から「第2付属室」を再設置したとしても、金建希氏は政権のリスクであり続けるでしょう。

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(2)梨泰院特別法が国会で可決…尹大統領が「拒否権行使」との噂も

 ニュースレターで何度も触れてきた『梨泰院特別法』が今月9日に国会で可決されました。与党は例によってボイコットです。

 法案の必要性について、遺族会や市民団体は「警察による『捜査』ではなく再発防止などを見据えた『調査』が必要」との立場です。法案には「特別調査委員会」の設置が明記されました。国会議長の仲裁により、法案は遺族会に特別調査委員の推薦権を与えず、法の施行も今年4月10日の総選挙後にするといった妥協案が採用されています。

 しかし12日、進歩紙『ハンギョレ』は尹大統領が同法案にも拒否権を行使するのではないかと報じるなど、先行きは不透明です。与党の韓東勲(ハン・ドンフン、50)非常対策委員長も「国論の分裂を招く」と法案に否定的な立場を繰り返し明かしています。

 「身内」を対象とする警察の捜査が十分でなかったことは、すでに明らかになっています。本来ならば第三者委員会による調査は当然と言えるところですが、痛ましい事故の遺族が政争の犠牲となっている姿に、舌打ちを禁じ得ません。拒否権を行使することは、政権にとって小さくない逆風となるでしょう。

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(3)李在明代表が退院

 今月2日、釜山(プサン)市で支持者を装った市民の襲撃に遭った、最大野党・共に民主党の李在明(イ・ジェミョン、60)代表。襲撃から8日が経った10日、退院しました。退院の第一声は「国民の皆さんが生かしてくれました。これから残る人生もただ国民たちのためだけに生きていきます」というものでした。

 襲撃は鋭利な刃物を用いて行われ、李代表の傷は運が良かったと言う他にない危険なものでした。

 凶器は刃渡り14センチほどの山岳用の片刃の高級ナイフを研ぎ、両刃にしたものでした。襲撃時に先に刃がワイシャツの襟に触れたことで、被害が軽減されたと警察は明かしています。頚静脈ではなく頸動脈が傷ついていたら、救急車の到着まで23分かかった点などから助からなかったという病院関係者の証言がありました。

李代表の退院を知らせる共に民主党のバナー。「憎悪と対決の政治を終わらせ、尊重と相生の政治を復元させることを望む」とあります。共に民主党提供。


李代表の退院を知らせる共に民主党のバナー。「憎悪と対決の政治を終わらせ、尊重と相生の政治を復元させることを望む」とあります。共に民主党提供。

 一方、警察は10日、最終捜査結果を発表しました。犯人のキム某氏(66)は、「李在明が大統領になることを妨げるために」襲撃したと陳述したとのことで、共犯者はいませんでした。また、犯行動機を記した8ページの「弁明文」には「国が左派勢力の手に渡ることを阻止するため」という内容もあったとしました。

 キム某氏の顔写真や本名、所属していた政党などはすべて非公開となりました。特に所属政党が注目されましたが、政党法に従い公開が見送られています。ここで隠してもしょうがないので書いておくと、過去に数年間、前身の党を含め現与党の党員であり、昨年に共に民主党の党員になったと各メディアは報じています。

 なお、こうした内容は既に米『ニューヨークタイムス』の3日の記事で職業などと共に公開されており、警察の対応には疑問の声も上がっています。

 共に民主党からはここ数日、李洛淵(イ・ナギョン)元総理、元代表といった大物や現職議員の離党者が相次いでいる上に、選挙制度の決定など李在明代表の前には問題が山積しています。早い復帰が望まれるところですが、当分は自宅で党務にあたるとのことです。

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(4)「犬食禁止法」が国会で可決…従事者は不満

 韓国の国会で9日、『犬の食用目的の飼育・屠殺および流通などの終息に関する特別法制定案』が可決されました。圧倒的な賛成多数でした。

 これにより今後、食用目的の犬の飼育や肉の加工や運搬、補完といった犬食に関するあらゆる行為が禁止されると共に、現在関連職に従事している人々の転業に対する支援が行われることが決まりました。猶予期間3年を経て2027年から施行されることになります。

 動物権を主張してきた団体は一斉に歓迎の声を上げましたが、一方で犬食を提供することで生計を維持してきた人々による当惑や反対の声を韓国メディアが報じています。

 今後、補償案が具体化され次第、少しずつ変化が始まるでしょう。しかしその過程でひと悶着あることが予想されます。法案が職業選択の自由や財産権などを侵害すると主張する可能性もあるからです。現に「育犬協会」はそう主張しており「大統領室のあるソウル龍山(ヨンサン)に200万匹に犬を離す」と反発を強めています。今後、違憲法律審判や憲法訴願などに発展する可能性もあります。

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◎カルチャー:映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』〜脱北を忘れてはならない〜

 脱北を扱った映画、ドキュメンタリーをこれまでいくつも観てきた。23年のサンダンス映画祭USドキュメンタリー部門で観客賞を受賞し、第96回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ショートリストに選出されたという触れ込みの本作は、過去の他の作品と比べ、取り立てて大きな長所がある訳ではない。しかし私はそう思いながらも約2時間、画面から目を離すことができなかった。観るべきか、という問いには迷わず「そうだ」と答えるだろう。

12日から全国で公開されている。


12日から全国で公開されている。

 物語は二つの家族の脱北ストーリーを中心に進む。どうなるかは映画を観てもらうしかないが、脱北をめぐる一つ一つの過程の風景、言葉、視線、感情に観客の心は揺さぶられるだろう。閉鎖された朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を逃れた瞬間、すべてが違法で誰も守ってくれない世界が待っている。そこから安全な韓国にたどり着くにまでには、険しいという言葉で言い尽くせない困難を乗り越えなければならない。再現映像を使わない本作からは、文字通りリアルな「脱北」の姿が伝わってくる。

 韓国には23年9月末現在まで、約3万4000人の脱北者が入国している。北朝鮮の人口を約2500万人と考えると0.15%程度となる。10000人に15人が韓国に来ている計算だ。

 どうだろう、今あなたは「この数が多いのか少ないのか」を考えてはいなかったか。そんな発想はきつい言い方になるが、脱北を理解できていない証左かもしれない。「そこには3万4000の生命と未来をかけた瞬間があった」と受け止めるべきではないかと、本作を観た今、改めて思っている。

 本作は新型コロナが流行する直前に撮影されたものだという。20年1月に金正恩がすべての国境を封鎖したことで、19年に1047人だった韓国に入国した脱北者は、20年に229人、21年に63人、22年に67人と大幅に減った。23年には180人程度と言われているが、北朝鮮から出てきた人々ではなく、第三国から韓国に入国した人がほとんどだ。

 私たちは「脱北」に慣れ、そして忘れ始めてはいないか。そうだ、本作の大きな魅力を伝え忘れていた。それは、娘、母、祖母という3つの世代が脱北をどう受け止めたかを考える機会を与えてくれることだ。とても得がたい経験だった。

 日本では今日1月12日に公開されたという。ぜひ足を運び、北朝鮮という国のあり方とそこに住む人々について、思いを馳せる時間を持ってみてはいかがだろうか。

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 ◎あとがきに代えて:こんな形でやっていきます

 ジャーナル形式の第一号はここまでです。今後も毎週金曜日に発行していきます。内容は、巻頭コラム・ドキュメンタリー紹介・映画紹介・書籍紹介は固定でできる限り続けていきます。こんなに長くならないように、それぞれ1200~1600字程度でに収めていくつもりです。

 記事につきましては、毎週一度、南北関係のまとめ号を出そうと思います。曜日はまだ決めかねていますが、火曜日あたりになる予定です。他に単発記事も出していきます。

 それでは今年もよろしくお願いいたします。ありがとうございます。(徐台教)

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