ニュースレター号

[49号] 汚物風船vs拡声器、南北関係の現状と対策

 サポートメンバーの皆さん、アンニョンハセヨ。

 記事ではない形でご挨拶するのは約二週間ぶりです。

 私が住む金浦(キンポ)市は連日良い天気が続いています。韓国の首都圏は6月25日あたりから梅雨入りだそうです。

 梅雨が大嫌いなので(梅雨どきは家事が増えるのです)じめじめする前に色々と済ませておきたい仕事があります。

 ニュースレターの遅れを招いている本の執筆ですが、ようやくあと少しという感じです。思い通りにいかない部分もあるのですが、ゴールがくっきりと見えています。こればかりは辛抱です。

 とはいえ、緊張高まる朝鮮半島情勢について書かない訳にはいきません。

 日本でも「汚物風船」のニュースは大きく報道されていると思いますが、現状はどうで、いったいこの先どうなるのかといういくつかのポイントと共に説明いたします。

◎南北間の応酬

 韓国からは「ビラ」、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)からは「汚物風船」。このやり取りは5月末から始まっています。

 北朝鮮からの風船がはじめて韓国に届いたのは5月28日。

 金正恩氏の妹、おなじみ金与正(キム・ヨジョン)党中央委員会副部長が、韓国から届く汚物(ビラのこと)に対する報復であり「誠意の贈り物」であるとこれを位置づけました。

 過去にない出来事かつ、風船の中身にゴミや堆肥が含まれていたことで韓国社会で大きな注目を集めました。

 この時の韓国社会のおおまかな反応としては「やれやれ」といったところでしょうか。よりによってゴミを送りつけてくるなんて困ったものだ、情けないという認識が多かったように思えます。

 しかし事態は徐々にエスカレートします。

 韓国の市民団体が北朝鮮側へのビラ撒布をやめないため、6月2日まで断続的に汚物風船が韓国に届きました。韓国市民の財産にいくつかの被害が出る実害が発生しました。

 これを受け韓国政府は、拡声器放送の再開をちらつかせました。南北軍事境界線上で行われる北朝鮮向けの宣伝です。

 韓国の豊かさ、北朝鮮の国際社会(正確には西側社会)からの孤立びり、金正恩政権の圧政、韓国の歌謡曲、兵士の脱走・脱北の誘いなどの内容を含む、北朝鮮政府が何よりも嫌うとされるものです。

 すると北朝鮮はビラ撒布の中断を発表しました。

 これで騒動が終わるかと思ったのですが、3日に韓国政府は『9.19南北軍事合意書』の効力停止を決めます。

 4日に尹錫悦大統領により裁可され、韓国を縛るものが無くなりました(北朝鮮は既に昨年11月に無効化)。ノーガードの打ち合いが始まりました。

今年に入り、私が取材したビラ撒布の様子です。ぐんぐんと高度を上げ、北側に飛んでいきました。


今年に入り、私が取材したビラ撒布の様子です。ぐんぐんと高度を上げ、北側に飛んでいきました。

 なおも韓国の市民団体はビラ撒布を続けます。

 ちなみに以前わたしが取材したことのある市民団体からは7日、「今日飛ばすから見に来ないか」と誘われました。先約があったため断りましたが、北朝鮮側に動揺が見られる今がチャンスとばかりに様々な団体が類似の活動を行っています。

 この影響からか、8日に北朝鮮はふたたび「汚物風船」を飛ばします。

 そして9日にはついに韓国がついに虎の子の「拡声器放送」を再開します。同日午後5時から2時間あまり、軍事境界線の最前線に設置された固定式スピーカーから韓国軍の心理戦団が制作した放送が北朝鮮に向けて送出されました。

 その主な中身は、『9.19南北軍事合意』の効力停止、韓米日とIAEAによる北朝鮮の核プログラムへの糾弾、サムスンのスマホが38か国で世界一、北朝鮮内で外国の映像を視聴することに対する激しい検閲が続き北朝鮮住民が苦痛を受けているといった北朝鮮国内では聞けないニュースでした。

 これに加え、天気や物価情報など役に立つ知識に加え、BTSなど韓国の歌手もヒット曲も流したとのことです。

 そしてこの日、つまり9日晩に金与正氏は談話を出し、その中で「対応行動は9日中に終えるはずだったが状況が変わった」と明かしました。

 韓国の拡声器行動を「危険な状況の前奏曲」と指し、ビラの撒布と拡声器放送が続く場合「新たな私たちの対応を目撃することになる」と表明しました。

9日、韓国軍が公開した移動式の拡声器放送車。荷台からスピーカーで出てきて、ぐるぐると回ります。国防部提供。


9日、韓国軍が公開した移動式の拡声器放送車。荷台からスピーカーで出てきて、ぐるぐると回ります。国防部提供。

***

◎どちらが冷静なのか?

 駆け足で一連のやり取りを見てきましたが、エスカレートの原因が韓国の市民団体によるビラ撒布にあるのは確かです。

 前回の記事でも書いたように、韓国からのビラ撒布は南風が吹き始めた今年4月中旬から再開され、風向きを見ながらゲリラ的に韓国北部の各地で続いています。

 そのほとんどは、地域住民の反発を避けるために暗くなった夜に行われます。ビラを飛ばす現場を韓国軍や警察が見かけた場合には制止しますが、根本的に阻止することはしません。

 これは法的根拠が明確でないためです。

 昨年9月、韓国の憲法裁判所は『南北関係発展に関する法律』の二箇所に違憲判決を下しました。

 一つは、接境地域(南北軍事境界線付近)でのビラ撒布の一切を禁じる項目です。根拠としては「表現の自由を過度に制限している」という論理が援用されました。

 もう一つはこれを違反する場合に3年以下の懲役または3000万ウォン(約345万円)の罰金に処すという項目でした。これは罰則が過剰であるという判断です。

 政府としては、ビラ撒布が南北間の緊張を高めるという判断の下、なるべく権利を侵害しない形での制限措置を確立する必要がありますが、これに手をつけていない現状があります。

***

 一方の北朝鮮側は韓国政府が市民団体の活動を「表現の自由」の名の下に黙認していることを指摘し、汚物を送りつけることはあくまで「対応」に過ぎないという立場です。

 さらに、一線を越えようとしない姿勢も見られます。

 9日晩の金与正氏の談話の終盤部で「休まずちり紙を拾い続ける困惑が大韓民国の日常になるだろう」と、あくまで非軍事的行為による対応を続けることを暗示している点はポイントです。

 談話の最後には「ソウルがこれ以上の対決危機を呼び起こす危険な行為をすぐに中止し、自粛することを厳重に警告する」と、あくまでボールは韓国側にあるという姿勢を隠していません。

金与正氏の談話。朝鮮新報をキャプチャ。


金与正氏の談話。朝鮮新報をキャプチャ。

***

◎尹錫悦政権の好戦性

 一連の事態の推移の中で目立つのが、韓国の尹錫悦政権の好戦的な姿勢です。

 韓国では6日、顕忠日でした。国家記念日です。国のために殉じた人々(殉国先烈)と、戦没した将兵(護国英霊)を追悼します。

 この中には日本による植民地統治時代に抗日闘争や独立運動を行った人物に始まり、朝鮮戦争(50~53年)やベトナム戦争(派兵期間64年~73年)、延坪海戦(99年、02年)や哨戒艦「天安」撃沈事件(10年)の戦死者、さらに殉職した消防官や警察官などが含まれます。

ソウル顕忠院内にある、在日学徒義勇軍の慰霊碑。韓国側で参戦した方々を悼むものです。今月6日、筆者撮影。


ソウル顕忠院内にある、在日学徒義勇軍の慰霊碑。韓国側で参戦した方々を悼むものです。今月6日、筆者撮影。

 毎年、ソウルと大田(テジョン)の顕忠院で追悼行事が行われ、大統領が追念辞を述べることになっていますが、今年の尹大統領の演説は圧巻でした。

 北朝鮮からの「汚物風船」を「普通の国なら恥ずかしがる他にない卑劣な方式での挑発」とし、こんな脅しを座視しないとしました。

 これはいいとして、問題は次の部分にあります。引用しましょう。

平和は屈従ではなく力をもって守ることです。 私たちの力がより強くなってこそ、北韓(北朝鮮)を変化させることができます。北韓同胞たちの自由と人権を取り戻すこと、さらには自由で富強な 統一大韓民国へと進むことも、結局は私たちがより強くなってこそ可能なことです。 

第69回顕忠日での尹大統領の追念辞より

 どうでしょう。明らかに金正恩政権に対し、力で倒すと宣言しています。この姿勢は昨年の追念辞には見られなかったものです。

 なお、強い韓国が「対話」と「交流」をもって北朝鮮を変化させようとしたのが過去の進歩派政権が進めた包容政策(太陽政策)でした。

 しかし尹政権は「対話」を「屈従」と曲解し、目的論と善悪の基準で南北関係を理解しています。こうなるとあらゆる北朝鮮政策が、政権打倒の方向に向くことになります。

6日、ソウル顕忠院で演説する尹錫悦大統領。


6日、ソウル顕忠院で演説する尹錫悦大統領。

 さらに軍がその先鋒に立っています。

 申源湜(シン・ウォンシク)国防部長官は9日午後、全軍主要指揮官会議を開催し、この中で北朝鮮の「直接的な挑発を敢行する可能性」に対し徹底して備えることを指示しました。ニュースレターでおなじみ、イケイケの長官です。

 この際に「『即・強・終』の原則に従う断乎とした応酬」を改めて強調しています。

 文字通り「即時、強力な反撃を最後まで行う」というものです。最後という表現には原点打撃、つまり北朝鮮本土への攻撃も含まれています。

 見てきたように、尹政権には南北間で高まる緊張を緩和しようとする意志が見受けられません。北朝鮮の軍事行動を誘うような雰囲気さえ感じられます。

***

◎現状をどう解決するのか

 ここまで読まれた方の中には、私が北朝鮮の肩を持っているのではと思う方がいるかもしれません。

 私も北朝鮮にビラを送りたくなる気持ちは分かります。

 中国との国境は二重の鉄条網で封鎖され、韓国との境界は世界最大の地雷原。言論や移動の自由も無く、海外の文化を娯楽として楽しむことすら厳罰を受ける。

 さらに00年代以降、何度かの統制を受けながらも個人の領域を広げてきた経済にも国家統制の魔の手が伸びるという、幾重にも住民を苦しめる金正恩政権の政治は早急に変わるべきです。

 ビラを飛ばす人々の多くは北朝鮮出身の脱北民です。

 何人かの方とは面識もありますが、北朝鮮社会のより人間らしい方向への変化を求め、メディアに顔を出さず真摯に黙々と活動している方もいます。一刻も早い北朝鮮社会の変化こそが住民の犠牲を最小化させるという彼らの考えは極めて正しいものです。

 このため、一概に取り締まることが果たして解決策なのかという問いは十分に成立します。

 朝鮮半島の平和と北朝鮮住民の人権を天秤にかけるような状況自体が間違っているとも言えるでしょう。

9日、ソウル都心、蚕室(チャムシル)大橋付近に浮かぶ「汚物風船」。現代アートのようですが、悲惨な現実です。風船はラテックス製です。国防部提供。


9日、ソウル都心、蚕室(チャムシル)大橋付近に浮かぶ「汚物風船」。現代アートのようですが、悲惨な現実です。風船はラテックス製です。国防部提供。

 しかし、それでも結論を出さなければ、行き着く先は衝突です。

 韓国政府としては、ビラ撒布の取締りに関する基準を明確にする必要があるでしょう。国会や社会で十分に議論し、結論を出すべき問題です。

 現状でも警察官の職務執行法を通じ取り締まることはできます。 

 しかし韓国の警察庁長は10日の会見で、汚物風船が「国民の生命と身体に対する深刻な脅威」に当たると見られないため、直ちに取り締まることはできないと明かしています。

 9年前のように北朝鮮側から砲撃が加えられてこそ取締りの動力が生まれるということです。

 ちなみに韓国国会は5月30日から新当選議員300人による4年任期がスタートしましたが、与党・国民の力と最大野党・共に民主党が常任委員会の配分で大モメしており、開店休業状態が続いています。

***

 長くなってきたのでこの辺でいったん止めます。

最後に、皆さんが憂慮しているであろう南北間の軍事衝突の可能性についてですが、現状では高くありません。

 北朝鮮側に自制が感じられる点が大きいです。

 おそらく韓国軍の高い戦意を察知してのものと見られます。一方の韓国にとっても先に軍事行為を行うハードルは高いため、小康状態が続くのではないでしょうか。

 それにしても、私が韓国に住んでいるせいか、現在の尹錫悦政権や国会(与野党ともに)に対する不満が大きいです。すべてが流動的というか、何一つしっかりと解決しないまま時間だけが流れているという印象です。本当に疲れる状況と言う他にありません。

 当面は小康状態とはいえ、それがずっと続く保証はありません。今のうちに解決策を考えなければならないのですが…。

◎あとがきに代えて

 尹大統領は今日10日、出国しました。15日まで中央アジア3か国(トルクメニスタン、カザフスタン、ウズベキスタン)を歴訪するとのことです。

 私も尹大統領が戻ってくるまでに本の仕事を終わらせたいものです。それではまた。いつもありがとうございます。(徐台教)

元媒体の号情報

元媒体の発行日
当サイトへの掲載日
元媒体
この号をtheLetterで開く(外部サイト)

この記事をたどる

基本索引へ