サポートメンバーの皆さん、アンニョンハセヨ。韓国の徐台教です。ずいぶんと間が空いてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。各地で大雨があり、特に能登半島はとても大変な状況が続いているようですね。皆さんの安全を遠くから願っております。
ニュースレター今号は去る9月19日、20日に韓国で行われた南北関係に関するイベントの様子をお伝えいたします。
なお、ドキュメンタリー番組の整理については次号となります。KBS(日本のNHKにあたる)が8月に放映した『沖縄アリラン』という番組を取り上げます。歴史に詳しい方はご存知のお話かもしれませんが、改めて観ると胸に迫るものがありました。
光州市内の金大中コンベンションセンターに掲げられたイベントの垂れ幕。『平和、進むべきその日』と書かれています。以下、写真はすべて筆者。
◎金正恩氏への「対抗策」
『平和、進むべきその日』と銘打たれた今回のイベントは、進歩派が今後どう南北関係を扱っていくのかを初めて公開の場で議論する場でした。
昨年末に金正恩氏が「北南関係はこれ以上は同族関係・同質関係ではない、敵対的な二つの国家関係、戦争中にある二つの交戦国関係として完全に固着した」と述べてから約9か月。ようやく重い腰を上げたものです。
もちろん、学会や小さなシンポジウムは幾度となく開かれてきました。しかし進歩派としての姿勢は定まらないものでした。保守派の尹錫悦政権が8月15日の『光復節』で「統一ドクトリン」を発表し、金正恩体制の転覆と吸収統一という攻撃的な姿勢を明らかにしたのとは対照的でした。
もっとも、陣営として統一した統一論(ややこしいですが)が存在する訳ではありません。
保守派は「北朝鮮打倒」という単純なものですが、進歩派はよりスペクトラムが多彩であるため、これまでは大枠で「対話と和解協力」という方法論を採択してきた程度です。
しかし金正恩氏の発言は、既存の南北関係を根底から覆す可能性があるものです。進歩派として一度しっかりと整理することが必要だと私はずっと思ってきましたが、ようやくそんな時期を迎えることとなりました。
結論から言うと、今回のイベントは十分に進歩派の今後を占うに値するものでした。その理由は過去、三度存在した進歩派政権下で実際に南北関係を動かしてきた進歩派の人物がそろい踏みした点にあります。
初の進歩派政権となった、故金大中(キム・デジュン、在任98~03年)大統領の右腕で同政権の南北関係を総括した林東源(イム・ドンウォン)元国家情報院長、続く盧武鉉(ノ・ムヒョン、在任03~08年)政権で同様の役割を果たした李鍾奭(イ・ジョンソク)元統一部長官、両政権にまたがり統一部長官の重役を務めた丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官といった錚々たる人物に加え、文在寅(ムン・ジェイン、在任17年~22年)前大統領も二日間にわたり参加しました。
さらに、文政権下で国家情報院長を務めた徐薫(ソ・フン)氏、朴智元(パク・チウォン)議員の両氏や、先に文政権の外交安保分野の回顧録を文大統領と共に執筆した崔鍾建(チェ・ジョンゴン)元外交部第一次官といった次官クラスの人士も多く出席しました。
中央は文在寅前大統領と金正淑(キム・ジョンスク)女史。左から二番目は金富謙(キム・ブギョム)元総理、右端は金東兗(キム・ドンヨン)京畿道知事、その隣は曺国(チョ・グク)議員、禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長。
元老たちが勢揃いした。前列左端は和田春樹東大名誉教授、二番目は林東源(イム・ドンウォン)元国家情報院長だ。
こうしたメンツはまさに「南北関係に関する進歩派人士の勢揃い」とも呼ぶべきもので、今後の進歩派の北朝鮮政策に大きな影響を及ぼすことは間違いありません。
このように今回の一連のシンポジウムは金正恩氏の「敵対的二国家論」への進歩派の対応を理解し、27年3月の次期大統領選挙で進歩派候補が勝利する場合の北朝鮮政策の方向を読むことにつながる、とても重要なイベントでした。
内容をひと言で整理すると、進歩派は「既存の平和の談論(大まかな議論の枠組み)と統一の談論も全面的な再検討が必要」(文在寅)という姿勢を明らかにしたと言えます。
それでは詳しく見ていきます。
(なお、昨年末の金正恩氏の路線転換に関しては、こちらの記事をご参照ください)
◎「韓半島平和プロセス」は座礁したのか?
初日(19日)は光州(クァンジュ)で行われました。
光州は1980年の『5.18民主化運動』の歴史から「民主化の聖地」であると共に、大統領選では進歩派候補に有権者の9割が投票する「進歩派の牙城」でもあります。
その象徴たる金大中(キム・デジュン)元大統領の名を冠したコンベンションセンターで午後にシンポジウムが、晩にレセプションがありました。
シンポジウムでは現状の分析と共に、金正恩氏がぶち上げた「敵対的二国家論」への対応が議論されました。
現状分析という点では、特筆すべき点はありませんでした。何度も本ニュースレターで書いてきた通り、南北間の緊張がいつになく高まっているという指摘が相次ぎました。
19日午後に行われたシンポジウムの様子。
一方で、文在寅政権時代に進めた『韓半島平和プロセス(朝鮮半島に平和をもたらす一連の政策。朝鮮戦争の停戦協定を平和協定へと転換することや米朝国交正常化、朝鮮半島の非核化などを含む)』についての見解は分かれました。
崔鍾建元外交部第一次官は同プロセスについて「一旦止まっている」と表現する一方、韓国最大のアドボカシー(政策提案)NGO『参与連帯』で事務処長を務めるなど平和運動の最前線に今も立ち続けているベテラン活動家の李泰鎬(イ・テホ)さんは「座礁した」と述べ、視点がくっきりと別れました。
李泰鎬さんはさらに「座礁と認めてこそ何が原因なのかを知ることができる。情緒的な問題ではない」とクレバーな指摘をしました。
これに対し崔鍾建さんは「あまりにも韓国だけの立場で考えてしまうことが問題だ」と述べ、「当時(18年~19年初頭)、北韓は米朝関係を南北関係よりも優先していた。それが金正恩氏の選択だった」としました。
先の李泰鎬さんの指摘は、文政権の「消極性」を批判するもので、崔鍾建さんの反論は当時の南北関係の言場にいた人物ならではの発言と言えます。
崔さんはなおも「過程としての平和プロセスには完結というものはない。『なぜ平和プロセスが続かなかったのか』というのが最も重要な質問だ」と、現政権に矛先を向けました。
北朝鮮政策に一貫性が無いというのは、確かに致命的な韓国の弱点です。これもまた重い指摘と言えるでしょう。
シンポジウムの冒頭挨拶を行う金錬鉄(キム・ヨンチョル)元統一部長官。20年6月に南北共同連絡事務所が爆破された際の統一部長官だった。二国家論には反対の立場を鮮明にしている。
◎「二国家論」を受け入れるのか?
次いで話題は二国家論に移りました。
正確を期すために「二国家論」という言葉について説明しましょう。
韓国では今なお南北関係を「特殊関係」としています。
1991年の『南北基本合意書』に書かれている「双方は国と国としての関係ではなく、統一を指向する過程で暫定的に形成された特殊関係」から来ているもので、主権を認めるものの、互いの関係は民族内部の特殊関係であると規定しています。
二国家論というのは、これを解消し「国と国の関係」とするものです。
言わばこの「91年体制」と呼ばれるパラダイム、これを作った立役者の一人、林東源さんが「南北間の最重要文書」とまで表現する枠組みを壊すことを意味します。30年、いや35年ぶりの大転換となります。
これについて、この日のシンポジウムでは概ね「そのような時期がきた」という所に話がまとまりました。
日本からは聖学院大学の宮本悟教授がパネリストとして参加していましたが、自身の訪朝経験を踏まえ南北間の理解がいかに難しいのかを説明し、それを韓国の学者が熱心に聞いている点は印象的でした。
この日のシンポジウムの中で最も興味深かった内容の一つに、ドイツとの比較がありました。
一般的に東西ドイツ統一の背景として西独のヴィリー・ブラント首相(在任69年~74年)の「(新)東方政策」が有名です。これは「接近による変化」という言葉で言い換えられるもので、統一という言葉を完全に封印し、東独を国家と認め和解協力を進めていけばその先に東独社会の変化が起きる…という「含み」を持たせた政策です。
ヴィリー・ブラント元西独首相。wikipediaより引用。
これにより70年代、80年代と東西ドイツでは人的・物的な交流が進み、その過程で東独社会は実際に変化に見舞われます。これが90年3月に東独で行われた人民議会選挙において「ドイツ再統一」掲げる政党連合が第一党(得票率48%)となる基盤となりました。
ここまで曖昧なまま「変化」という言葉を使ってきましたが、それは一体なんなのでしょうか。
ヴィリー・ブラントやその右腕の戦略家エゴン・バールは東独のどんな変化を望んだのでしょうか。それは‘文字にしてはならない’変化でした。端的に言うと東独国民が東独の政体に愛想を尽かすことなのですが、それを目的に東西ドイツの交流を進めると公開する訳にはいきません。東独の全てを受け入れた上で交流を始めたのです。
◎韓国、三つの選択
統一の先輩、ということでこの日のシンポジウムでもドイツの話はたくさん出ました。
中でもドイツ統一史に詳しく、平和学研究でも名高い江原大学のイ・ドンギ教授の発表は非常に印象的でした。
イ教授の指摘は、東独と北朝鮮の二国家論の類似性でした。これは既に多くの学者が指摘するものですが、イ教授はさらに一歩踏み込みます。
「朝鮮(北韓ではなくこう表現していました)もまた、単純な二国家論ではなく二民族論を内蔵した二国家論を披露した」という見解を示したのでした。そしてその姿が「1971年の東独を連想させる」としました。
イ教授によると、東独の支配政党であったドイツ社会主義統一党傘下の研究所は70年3月の報告書の中で「社会主義ドイツ国民国家(東独)では社会主義ドイツ民族が形成され、それはブルジョアドイツ民族(西独)と区分される」としました。
これが東独の「二民族論」で、東独はこの理論を国内的に周知させるために長い時間(70年代末まで)を費やしたといいます。
73年には国歌の冒頭部分の「ドイツ、統一祖国よ」という歌詞を避けるために、歌を唄わずに演奏だけするようになったと言います。これは北朝鮮が国歌から「朝鮮半島全土」を意味する「三千里」という言葉を削除した点を想起させます。
単なる二国家ではなく別の民族という概念は既に東独に存在していたのです。北朝鮮もまた、この理論を国内的に周知させるために長い時間をかけることになるとイ教授は見立てました。
他にも詳細な指摘が続いたのですが、すべて紹介する訳にもいきません。そこでイ教授の主張を整理しますと「今後、韓国の対応には三つの選択肢がある」というものでした。
一つ目は「西独が1969年から90年の統一まで見せた実用主義」です。ブラント首相の時代に「統一は反平和だ」とまで言った例を挙げながら、「政府や社会は統一の議論を猶予し、統一を前提としたり指向する方式の和解協力構想を完全に引っ込める」というものです。
二つ目は「国民国家としての再統一を完全に捨て、韓国―朝鮮の国家連合を枠を構想するもの」です。これは前述したような91年の特殊関係論や、「和解協力―南北連合―完全統一」という現在の『民族共同体統一方案』を変えるものと考えられます。つまり、南北連合こそを目的とする形への変更です。
三つ目は「『自由統一論』や『平和繁栄論』を押し出し、北朝鮮の変化を前に微動だにしないもの」です。前者は保守派が、後者は進歩派が現時点で掲げているものですが、これを変えない場合には「敵対関係の相乗的な相互作用だけが残る」とします。つまり、南北関係は悪化の一途をたどり、それをテコに権力維持を図る「敵対的共生論」が残るということです。
イ教授は結論として、一つ目もしくは二つ目(二つ目は一つ目の条件にもなり得る)、またはその間のどこかに答えがあるとし、現状からの大きな変化を主張していました。
◎「統一はやめよう」任鍾晳の衝撃的スピーチ
19日の晩にはレセプションが行われました。この9月19日という日付けは南北関係にとって二つの意味で特別なものです。
一つ目は05年の六者協議における合意『9.19合意』―過去30年の北朝鮮核問題をめぐる合意の中で最高のものとされる―が生まれた日であり、二つ目は18年の同日に平壌で行われた南北首脳会談の結果として『平壌共同宣言』と『9.19南北軍事合意書』が締結された日です。
この日は後者、つまり6年前の文在寅政権の「成果」を祝うものでした。
『9.19平壌共同宣言 6周年』と銘打たれ、前述したような南北関係の専門家や光州や全羅南道の地方議員、国会議員、さらに市民たちまで約500人の人々が集まりました。
レセプションの様子。会場には500人あまりが詰めかけた。
ここでは文大統領の初代秘書室長を務めた任鍾晳(イム・ジョンソク)氏が「統一はもうやめましょう」というフレーズから始まるスピーチを行い、大いに話題となりました。任氏の発言をいくつか引用していみます。
・統一はもうやめましょう。ただ別々に隣に生きて、互いに尊重し、互いに助け合い、共に幸せになれば良いじゃないですか。統一を必ずしなければならないという強迫観念を捨てましょう。しっかりと平和を構築し、今後の韓半島の未来は後代に任せましょう。
・非現実的な統一の議論はもうしまいましょう。これ以上、当為と慣性で統一を話すのは止めましょう。
・憲法三条(大韓民国の領土は韓半島とその付属島嶼とする)を消すなり改定しましょう。
・国家保安法も廃止し、統一部も整理しましょう。
・私がこう強調する理由は、統一が前提となっているいることで、積極的な平和の措置と和解協力に対する拒否感が起き、消耗的な理念の問題が続くという認識のためです。
・統一が無条件に良いものであるという保障もありません。わが国民の内部にも統一に対する強い疑いがあります。特に若い世代になるほど強い疑念は強い拒否感となって現れます。
・何よりも統一は私たちの世代(任鍾晳氏は66年生)の選択肢ではありません。未来の世代の権利です。(中略)統一の議論を完全に封印して30年後にでも元気にしているか開けてみましょう。
いかがでしょうか。引用したのは全体の5分の1ほどですが、どこを読んでもかなり尖った内容になっています。
これまで南北関係を規定してきた全ての枠組みを完全に取っ払い、ゼロから再構築することを求めているように読み取れる部分が多く、ずいぶんと「攻めた」ものでした。
会場の雰囲気は険しいものでした。任鍾晳氏が発表している間、文在寅氏をはじめ前列に位置していた重鎮達の表情をじっと観察してみての感想です。相づちの形でうなずくこともせず、みな眉間に皺を寄せて聞いていたのが印象的でした。
任鍾晳氏のスピーチを聞く人々。手前から林東源、禹元植、文在寅。
レセプションが終わり、食事の時間になったのですが私が座っていた記者席がちょうどトイレの前で、通り過ぎた任鍾晳さんに直接話を聞く機会がありました。
「内容がかなり破格でしたが」と聞くと、「長い間考えてきたことを話したものだ」という返事が返ってきました。「同意しない人も出てくると思いますが」という質問には「当然そうだ。議論の土台になればと思って話した」と真面目な顔で答えました。「事前に参加者たちと内容を共有していたのか」という質問には答えてくれませんでした。
任鍾晳という人物はいわゆる「86世代」、つまり60年代生まれで80年代に大学に通ったエリート世代(当時の大学進学率は30%台中盤)であり、その中でも民主化運動に参加した世代の象徴的人物です。
86年に漢陽大学に入り学生運動を始め、87年の民主化を経て88年には同大の学生会長に、そして翌89年には全国大学生代表者評議会(全大協)の三代目議長となり、同じ年に林秀卿(イム・スギョン)氏を同会の代表として北朝鮮に派遣するなど、韓国で知らない人はいない存在です。
その後90年代末に政界入りし、国会議員を2期、ソウル市副市長などを務め、17年5月の文政権発足後すぐに秘書室長に抜擢されました。
学生時代に民主化運動から統一運動への転換を牽引し、18年4月には11年ぶりの南北首脳会談の準備委員長を務め誰よりも統一運動に熱心とされた人物が「統一はやめよう」と語ったインパクトは爆弾発言に他なりませんでした。
スピーチする任鍾晳さん。
この日、別の人物にも話を聞いてみました。
前述したように「91年体制」を作った林東源(イム・ドンウォン)さんは「どう受け止めましたか」という質問に、「統一を打ち出す場合にはそれは(韓国による)吸収統一以外にない。まずは平和が優先であるということで、それを過激に表現したものだ」と答えました。特に「過激に」という部分では珍しく笑みを見せました。「林東源さんが常々言っている『過程としての統一』からは外れないものですか?」という問いには「そうだ」と相好を崩しました。
さらに丁世鉉(チョン・セヒョン)さんに聞くと「私が言いたいことを全部、任鍾晳が言ってくれた」と力強く答えました。同氏は以前より「南北関係をやめ韓朝関係にすべき」と主張しています。
こんな反応の傍ら、文在寅前大統領は締めのスピーチの中で「米国大統領選が終わり新政府が発足する時に誰が大統領になろうと米朝対話が再開される可能性がある」と述べました。
そして、これに向けた準備を行うことを尹政権に注文すると共に、「北韓が南北関係を敵対的二国家と規定したことに従い、これまでの平和の談論(大枠の理論)と統一談論も全面的な再検討が必要となった」と述べ、任鍾晳さんの議論に検討の余地を残しました。大枠で関係再設定の必要性を認めたと読むべきでしょう。
◎なぜ任鍾晳なのか?
なお、私の感想は「なぜこの発言を任鍾晳さんにさせたのか」ということでした。任鍾晳という人物はその経歴から「従北」のレッテルを貼られ保守メディアに総叩きにあっている人物です。
その主張には傾聴すべき部分があるものの、ハレーションが最も大きい人物が語ることで、内容がより韓国社会に伝わりづらくなるのではないかと思わずにいられませんでいた。
重鎮たちよりも若い66年生まれとはいえ、韓国社会には「86世代が今の生きづらい『ヘル朝鮮』を作った」という批判が根強くあります。その代表格の人物が南北関係の大転換を語ることで「いつまで社会の中心気取りなんだ」という批判を呼び起こす可能性もあるでしょう。
一方、インパクトを考えると任鍾晳さんしかいないというのもまた事実です。文在寅さんが語る内容としてはあまりに重すぎるからです。
なお、論点がややこしくなるため敢えて触れていませんが、統一論の再考の背景には若者世代の統一への無関心があり、任鍾晳さんもこれを論拠の一つとしています。
任鍾晳さんが語ることで世代間対話の可能性が閉ざされるのか、それとも広がるのか、ここはまだ判断が付きかねます。
いずれにせよ、任鍾晳さんの潔癖なまでの「統一の切り離し」は、ヴィリー・ブラント式とも考えられます。
先にブラント首相が「統一は反平和」とし、在任中にその議論を禁じたとするイ・ドンギ教授の発言を紹介しましたが、これに準ずるものではないかと思うのです。
長い目で見ながら、ひとまずはか韓国が完全に引く、という形を描いているのかもしれません。その先に「変化」が生まれる方に賭けるているのではと、ひいき目に見ることも可能でしょう。私は楽観的ではありませんが。
こうなるとがぜん、翌朝のレセプションでの基調演説で、文在寅さんがどんな内容を話すのかに注目が集まりました。もしかしたら、南北関係を根底から変えるような発言が出てくるかもしれないと考えると、この日は中々寝付けませんでした。
いま考えると、この時の感情は不安でも期待でもない「この時代にいったい私は何をすべきか」という懊悩だったように思えます。
◎「何よりも対話」文在寅の訴え
翌朝、早起きして車で木浦(モクポ)に向かいました。天気は雨。会場は木浦市内の高級ホテルでした。会場は昨晩の500人規模には満たないものの、それでも地元の有志を中心に300人ほどで、昨晩来ていた重鎮のほとんども参加していました。
文在寅さんの基調演説は無難なものでした。
尹政権の圧力一辺倒の北朝鮮政策や日米に接近する外交(偏重外交と表現)を批判し「平和ほど切実な課題はない」とした上で、「韓半島の平和のためには対話以外の道はない」と強調しこれを尹政権に訴えました。
二国家論と関連するものとしては一点だけ「北韓は今後、南北韓関係を(南北関係ではなく)を敵対的二国家と規定しました。とても憂慮すべきものです。平和と統一という同胞(民族)の念願に逆行する反民族的な仕打ちと言わざるを得ない」と言及しました。
20日、基調演説を行う文在寅前大統領。文氏は垂れてくるまぶたを切る手術を行い印象が大分変わりましたが、進歩派内での人気は相変わらずでした。
この日には短いシンポジウムも行われました。中心はやはり前日の任鍾晳さんの発言、つまり二国家関係となりましたが、重鎮たちから任鍾晳さんに対する批判が相次ぎました。
盧武鉉政権下で統一部長官を務めたベテランの鄭東泳(チョン・ドンヨン)議員は「統一を放棄するのではなく、平和が先だと言うべきだった。反民族的な主張で金大中、盧武鉉の統一努力を批判するものだ」と強い口調で迫りました。
また、金大中政権下で大統領秘書室長を務め、文政権下で国家情報院長を務めたやはりベテランの朴智元(パク・チウォン)議員は「すでに私たちは二国家である」と任氏の発言に理解を示しました。
一方で「政治家が先に進みすぎるのはよくない。あくまでも国民の考えが大事だ」とし、「政治家は国民の手をつなぎ半歩前を歩くべき」という金大中大統領の発言を引用しながら「早すぎた」とやんわりと批判しました。
◎進歩派の議論がスタート
さて、長くなりましたので一旦まとめます。二日間にわたるイベントの総評としては冒頭で述べた通り、「ついに進歩派が重い腰を上げた」と言えるでしょう。金正恩氏の「敵対的二国家」発言があったのは昨年末のことです。ようやく、議論がスタートしました。
そして議論の中心が「二国家論」にあることも明らかになりました。「敵対的」という言葉をいかに取るのかが今後の課題であることもはっきりし、進歩派による新たな南北関係(韓朝関係とも)の模索が始まりました。
長い過渡期が始まったと言えるでしょう。歴史的なターニングポイントになる日になるかもしれません。
なお、任鍾晳さんの主張への批判は保守派、進歩派内からそれぞれ出ています。これは次号以降にじっくりと読み解いていきます。
◎あとがきに代えて:本を出す時
いよいよ本を完成させる時期が来ました。二国家論に向かうというのは18年に本を書き始め、韓国内での取材を進める中で20年には完全にその輪郭が見えていました。
先に出しておけば良かったと悔やまれる一方で、南北関係を見る目が間違っていなかった事が分かり、その過程を含めうまく説明できると確信しています。この話は10時間、一人で話せと言われてもできるほど色々と読み、聞き、考えてきました。もう少しお待ちください。
あと昨日24日の晩に、YouTube『徐台教の韓国通信』が公開されています。こちらは無料なのでぜひご覧ください。様々なトピックを扱っています。
(リンク)
オススメは生計型犯罪の罰金を立て替える「ジャン・バルジャン銀行」や、特集で取り上げた韓国地方紙若手記者のプロジェクトなどです。
発行に間が空いてしまいましたが、腰を据えて取材できるのもサポートメンバーの皆さんのおかげです。今日お送りした内容は南北関係を考える上で非常に重要なものですが、一般的にヤフーニュースなどで記事にしても読まれない内容でして、私には2000〜3000円にしかならないでしょう。交通費の5分の1にしかなりません。ですがサポートメンバーの皆さんの購読料を考え、積極的に行くことができました。
しっかりと形にし、次のステップへと進めていきますので、これからもご購読よろしくお願いいたします。あと、できればもっとたくさんの方へとニュースレターの存在を知らせてください。この貴重な取材プロセスを共にする後輩や同僚を育てていきたいですし、もっと積極的に取材することにつがっていきます。いつも本当に感謝しております。ありがとうございます。(徐台教)