ニュースレター無料会員の皆さま、アンニョンハセヨ。韓国の徐台教(ソテギョ)です。大変ご無沙汰しております。昨年12月の非常戒厳から今年6月の大統領選挙まで怒濤の半年が過ぎ去り、ようやくひと息ついた状況です。
その間、私自身も積年の課題であった本をようやく書き上げ、日本での出版を控えています。もう少ししたら具体的な日程をお知らせできると思います。
今日6月25日には朝鮮戦争勃発から75年となる日です。この日に合わせ短いコラムを執筆し、Yahoo!ニュースに公開しました。その内容を本メールの下段にそのまま貼り付けておきます。
Yahoo!のHPでご覧になりたい形はこちらのリンクからご覧ください。
また、7月からはニュースレターの名前を現在の『新・アリランの歌』から『コリア・フォーカス』へと改め、リニューアルいたします。大きな変更点としては、外部の執筆陣の参加があります。
主に韓国に住む専門家たちに、ジェンダー問題や不平等、地方消滅といった社会問題から外交、南北関係まで書いてもらうもので、これにより個人でやっていたニュースレターにメディア機能を持たせます。
また、例えば政治は1500字、社会は2000字、ドキュメンタリー・映画紹介は1500字などと文字数を決めることで「長すぎる」という不満(?)を解消します。
毎週金曜日にはこんなてんこ盛りの「ジャーナル」形式のニュースレターを、そして別途、記事を随時送るかたちとなります。
私の写真が大きすぎる気がしますがお気になさらず^^
まだ6月ですが、これを機に読み始めてもいいよという方は、下記ボタンよりぜひご登録お願いします。
それでは今後ともよろしくお願いいたします。
朝鮮戦争勃発から75年…南北の平和に日本社会が向き合う時
「北韓(北朝鮮を韓国ではこう表記する)軍3躯」と刻まれた墓石。右上に刻まれているのは発掘日だ。2024年12月10日とある。24日、北韓軍墓地で徐台教撮影。
いつまでここに眠っているのだろうか。——あるいは?
1950年6月25日明け方、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の朝鮮人民軍は当時の南北境界線・38度線を超え一斉に「南侵」した。以降、53年7月27日に休戦協定が結ばれるまで3年ほど続く朝鮮戦争の幕開けだった。
それから戦争が終わらないまま75年が経った。節目の日を控えた24日、私は京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市にある旧「敵軍墓地」を訪れた。約1年半ぶりの訪問だった。
比較的丁寧に手入れされた墓地には、日にさらされていない白い碑石が増えていた。遺骸の発見日を示す日付けは「24年12月10日」とあった。小さなため息をつき視線を上げると、梅雨の曇り空の下、飛び交う羽虫の姿が目に入った。ふとこんな考えが脳裏をよぎった。
この「人」たちはもう、二度と故郷に戻れないのではないだろうか。
「北韓軍墓地」はソウルの西北約60キロの京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市にある。墓域は二つに分かれており、68年1月に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の暗殺を企図した北朝鮮兵士の墓などもある。24日、徐台教撮影。
2025年。米ソによる分割に始まった朝鮮半島の南北分断がまさか80年におよぶとは、1945年当時を生きていた人の誰一人として考えていなかったはずだ。
80年というのは人の一生に比肩する時間だ。テープも貼ったりはがしたりを繰り返すことで粘着力を失うように、幾度かの対立と密着を繰り返した南北関係は、2020年後半以降は完全に摩擦力を喪失した。
いま、南北を往来する人はもちろん、南北を結ぶホットラインも何もない。韓国屈指の南北関係専門家である金錬鉄(キム・ヨンチョル)元統一部長官は先日とあるシンポジウムで、南北は分断80年の歴史において「最長の空白期」にあると苦い顔で明かしていた。
その理由については、短期的なものと長期的なものに分けて考えることができるだろう。
短期的には南北の指導者の強い意志が存在した。
韓国の尹錫悦(ユン・ソギョル)前大統領は「反共」と「自由の北進政策」を掲げ北朝鮮との対決姿勢を顕わにし、24年8月15日には「自由・平和・繁栄の統一大韓民国」を打ち出し金氏独裁政権を倒すと宣言した。
北朝鮮の金正恩委員長は自国民への韓国からの影響を遮断するため20年12月の「反動思想文化排撃法」を皮切りに、「青年教養思想法」と「平壌文化語保護法」を立て続けに制定した。23年12月には‘北南関係’が「敵対的な二つの国家関係」として固着化したと宣言した。
板門店も今や完全に外部に閉鎖され、一般人は誰も近づけなくなった。23年4月、徐台教撮影。
一方で長期的には、朝鮮戦争を経て形成された南北分断を陣営対立の最前線とする環境の強い拘束力が存在する。53年7月27日の朝鮮戦争の休戦時から東西冷戦の終結を経ても微動だにしない、もはや国際秩序として完全に定着した「板門店体制」である。
このような、北朝鮮・中国・ロシアと韓国・日本・米国という対立を乗り越えた所に分断克服の未来が見える構図は一貫して変わらない。
米国と中露という対立の波に乗り、政権の統治力と国際社会における存在価値を高めるためロシアに密着した金正恩氏の選択は、憎らしいほど合理的だ。
やはり韓国で南北関係改善にキャリアを捧げた丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官は昨年、私とのインタビューの際に南北関係を求心力と遠心力で説明してくれた。大日本帝国からの解放と南北分断が同時に押し寄せた1945年に生まれたベテランだ。
その理屈とは、南北が接近する力(求心力)よりも分断を維持する国際構造(遠心力)が強ければ、南北関係の改善やその先にある統一は成り立たないというものだ。この二つの力の優劣により、朝鮮半島の状態が決まる。
だが25年6月の今、もはや南北の求心力は皆無に近い。
6月4日に就任したばかりの李在明(イ・ジェミョン)大統領は進歩派陣営であるため北朝鮮との関係改善に積極的と思われがちだが、そのスタンスは現実的だ。
25日、朝鮮戦争勃発から75周年を迎えFacebookに掲載したメッセージでは、焼け野原の世界最貧国から先進国となった韓国の発展像が強調され、南北関係については「韓半島の平和体系を堅く構築していくことを誓う」と短い言及があっただけだった。
これは「もはや統一よりも平和」という、00年代以降に韓国進歩派内で進んできた視点の変化が定着したことを示すものだ。定期的に行われる韓国人の統一意識調査の結果も同様の地点を示している。
今後は、統一への求心力よりも平和への求心力が問われる時代となるだろう。だがこの点において、韓国は孤立無援である。パートナーであるはずの北朝鮮が、韓国を交戦国・敵対国であると切り捨ててしまったからだ。
ここに及んで私は、だからこそ日本社会の存在感が増すのではないだろうか、今こそ平和への求心力を日本と共に作るべきではないかと強く思っている。
24日(現地時間)、オランダのハーグで北大西洋条約機構(NATO)首脳会議が行われ、トランプ米大統領も出席した。だが本来、出席予定であった日韓首脳は出席を取り止めていた。
表向きの理由はそれぞれ異なるが、トランプ氏が21日(現地時間)イラン空爆に踏み切ったことが影響していたのは明らかだった。
どれほどの共感が日韓間で交わされたのか分からない。だがおぼろげながらもそこには確かに「平和」へのイメージが存在した。そしてこれを読み取り歓迎する声が、社会に一定数観測できた。
このように今後、日本社会が朝鮮半島の平和にも声を上げてほしいと思う。そうすることで北朝鮮も変わるかもしれないし、これまで日本社会で見落とされてきた朝鮮半島の分断と日本の関わりを捉え直すことにもつながるだろう。
これこそが当時の南北の人口の一割以上、実に300万人以上の死者を出した朝鮮戦争勃発から75年を迎える今日、私が書いておきたいことだ。
だからといって韓国が北朝鮮との関係を捨てるということではない。昨日の墓地訪問時のエピソードを記して終わりたい。
なお、1996年に「敵軍墓地」という名称で造られた同地は当初、韓国軍の遺骸発掘事業の中で見つかった中国軍(人民義勇軍)・朝鮮人民軍兵士の遺骸を埋葬する場所であった。しかし14年から16年にかけて中国軍の遺骸を返還したことで今では「北韓軍墓地」と名を改めている。
この日、墓地をうろうろと歩いていると、揃いの制服を着た一団がやってきた。声をかけると韓国国防部の「遺骸発掘鑑識団」の団員たちで、道すがら立ち寄ったという。冒頭で紹介した24年12月10日と書かれた碑石の主も彼らが発掘したものだ。
(参考記事)「北朝鮮に3万体」「歴史を治癒する第一歩」…韓国軍・遺骸発掘鑑識団を訪ねる(徐台教Yahoo記事リンク)
墓地を訪れた韓国国防部の「遺骸発掘鑑識団」の団員たち。24日、徐台教撮影。
団員の一人に「明日で朝鮮戦争から75周年です。どう思いますか」と聞いてみた。
しばらく逡巡したあとで「私たちは韓国軍と国連軍の遺骸を発掘するのが目的だが、北韓(北朝鮮)の兵士を見つけた時にも同じように発掘している」と噛みしめるように答えてくれた。最大限の敬意を持って接しているという思いを遠回しに表現したものと私は受け止めた。
「いつまでここに彼らは残るのでしょうか」という問いには、「残念だ」と遠くを見ながら短く答え口を結んだ。北朝鮮は遺骸の返還を拒否し続けている。その理由は明らかになっていない。
この一連の対話に日本から朝鮮半島の分断状況を見る場合のヒントがある。
韓国の役割は小さく見えるかもしれない。しかし24年12月10日というのは、尹錫悦による非常戒厳からわずか一週間後である。
あの混乱のさなかにも「敵軍」の遺骸を丁寧に発掘し埋葬するという地道な仕事を、韓国の担当者たちは黙々とこなしていたのだ。
ここに韓国人がふだん口にしない、南北の未来に対する熱い想いがあると考えるのは入れ込み過ぎだろうか。
いずれにせよまず平和があればこそ、その先の未来があり得る。そこで日韓の社会が足並みを揃えていければと思って止まない。
墓地の見取り図。秋頃にここを含めた非武装地帯をめぐるツアーを組む予定です。24日、徐台教撮影。