昨年12月27日に自死した韓国のトップ俳優・李善均(イ・ソンギュン、享年48)さん。彼の死は刑法で禁じられている被疑事実公表を行った警察と、それを無分別に報じたマスコミによる「社会的殺人」と見なされ当初から見なされてきました。

 そして1月16日、一連の報道の決定版とも言える番組が放映されました。長い歴史を持つ公営放送MBCの名物調査報道番組『PD手帖』による『70日、故李善均俳優の最後の時間』がそれで、番組の中ではこれまで明らかにされてこなかったいくつかの新事実が公開されました。番組の展開に沿ってまとめていきます。

番組タイトル。同番組をキャプチャ。

番組タイトル。同番組をキャプチャ。

 ・事件のはじまり

 まず「李善均が麻薬を使用した」という事件がどうやって水面上に浮上したかについてです。これはある男性A氏による通報から始まりました。

 23年9月、A氏は自身の恋人女性B氏が別の女性キム氏と共に常習的に麻薬を使用していたと警察に通報します。キム氏がB氏に麻薬使用を継続的に勧めてきたため、B氏のためを思って通報したというのです。警察は捜査を進め、B氏を在宅起訴すると共に、常習者であるキム氏への捜査を本格化させます。

 そして10月18日、仁川警察庁はキム氏を逮捕します。容疑はヒロポンなど麻薬を使用したというものでした。翌19日、キム氏は一度目の調査(被疑者尋問)を受けます。番組では調査が終わった時間を警察の書類から同日14時19分頃と明らかにします。

 その約3時間後「トップスターL氏、麻薬嫌疑で内偵捜査中」という記事がある新聞に出ます。番組ではモザイク処理されていましたが、今もその記事は残っているので隠す必要はないでしょう。『京畿(キョンギ)新聞』による単独記事でした。記事には「2001年にMBCの番組でデビュー」とL氏が李善均氏であると推測できる内容も含まれていました。

 これが事件の始まりでした。A氏は「まさか李善均やG-DRAGON(著名歌手。李善均氏と並んで疑われた)が出てくるとは思わなかった」と振り返っています。

 番組では上記の第一報を書いた記者にも取材しています。

 どこから得た話なのかを問う番組側の質問に「警察でも内部通報者が誰かを探しているが、それは言えない」と答えています。取材源の秘匿は何よりも大事なのでこう答える他にないでしょう。番組はなおも警察に内容をチェックしたのか聞いています。記者は「記事を書く過程で警察に確認した」としています。

 いずれにせよ、キム氏への一度目の調査で「李善均」という名前が出たのでしょう。その後すぐに実名報道に切り替わります。番組では人権弁護士が「内偵捜査の段階から関連人物の陳述がメディアに知られた。とても異例のできごと」とコメントしています。

「トップスターL氏、麻薬嫌疑で内偵捜査中」という京畿新聞の記事。同サイトをキャプチャ。

「トップスターL氏、麻薬嫌疑で内偵捜査中」という京畿新聞の記事。同サイトをキャプチャ。

・警察はキム氏の不安定な証言だけが頼り

 23年10月28日、警察が李善均さんをはじめて召還し調査します。5日前の23日、麻薬使用(投薬)の嫌疑で立件し正式に捜査を始めました。李さんはたくさんのカメラの前に立ち、関係者や家族などに謝罪の言葉を述べました。

 番組ではここで「果たして李善均さんが麻薬を使用したという信憑性のある証拠があったのか」と問いかけ、「李善均さんが麻薬を使ったのを見たと証言したのはキム氏が唯一」とこれに答えます。

 その上で、警察がキム氏を取り調べた調書資料の一部を入手し分析します。

 二週間の間に11回の調査が行われ、その内7回の調査で李善均さんの麻薬使用について196回言及されていると突き止めます。

 これに対し麻薬捜査を担当してきた元検事出身の弁護士は「犯行日時、場所、投薬方法、投薬した麻薬の種類などが基本的に確認できてこそ被疑者として立件し強制捜査や召還調査をすることができる」と述べ、「通信(位置情報)などの証拠を集めて、客観的な事実に合わせて陳述を誘導した可能性が高い」と見立てます。

 番組にはその一例が出てきます。

 キム氏3回目の調査の際に、警察が李善均さんの海外出張の日程を挙げながらキム氏の陳述を助けているような内容があったのです。その日の晩と5回目の調査ではキム氏が「李善均さんと会った」とする日にちが異なっていました。こうした整合性をなんとかとろうとする警察の努力を暴いていきます。5回目の調査が終わった時点で李善均さんは立件されます。

 ここでやはり麻薬捜査を担当していた元検事の別の弁護士が登場し「一貫性がないというのは信憑性がないことにつながる。この点までも考慮して捜査すべきだった。一般人ならこの辺で終わり」と警察の姿勢に疑問を呈します。

自身の恋人B氏を通報した男性A氏。図らずも李善均さん自死事件の発端となってしまったが、非常に気に病んでいる様子で気の毒だった。番組をキャプチャ。

自身の恋人B氏を通報した男性A氏。図らずも李善均さん自死事件の発端となってしまったが、非常に気に病んでいる様子で気の毒だった。番組をキャプチャ。

・検査結果はすべて陰性も終わらない捜査

 次は検査結果についてです。李善均さんは全部で4回の麻薬検査を行いました。

 10月28日の尿検査で陰性、11月3日に毛髪検査で陰性(国立科学捜査研究院という国家機関での精密検査でした)と続き、11月14日の体毛検査(同研究院)では重量が足りず鑑定不可となり、11月24日にふたたび体毛検査が(同研究院)行われ陰性となりました。

 全て陰性だったということになります。これについて現役の警察官は「通常なら捜査は終わり」と述べています。

 また、現役の法科大学院教授は「最も大事なのは体内から麻薬成分が検出されたか。これが有罪の決定的な証拠になるが出てこなかった。1回目、2回目の体毛検査で麻薬が検出されなかったので、ここで捜査を終結させるのが理にかなっているしかし、捜査結果の流出を通じ世論の関心を受け、一方では必ず有罪を明かさなければならない圧迫もあった。止まれない汽車になってしまった」と分析しています。

 一方、仁川警察庁は「具体的な証拠があったので捜査を進めた」と弁明しています。番組は「なぜ警察がこだわったか?」と問いかけます。

 そして12月18日、クォン・ジヨン氏(G-DRAGON)が「嫌疑無し」で不送致が決定したことに注目します。

 依然として李善均さんの麻薬使用についてはキム氏の不確かな陳述以外に何もなかったにもかかわらず、警察は両方を嫌疑無しとはできない困難な立場に置かれていたのではないかというのです。前出の弁護士は「圧迫を受け、過剰捜査をしたのでは」と見立てています。

李善均さんの麻薬検査結果一覧。体毛の量が足りなかった一度を除いてすべて陰性だ。番組をキャプチャ。

李善均さんの麻薬検査結果一覧。体毛の量が足りなかった一度を除いてすべて陰性だ。番組をキャプチャ。

・犯罪者のらく印を押される

 過剰捜査の一環として「劇場型捜査」がありました。

 李善均さんは三回にわたり警察に召喚され調査を受けましたが、そのいずれも時間が事前にメディアに知らされた上で行われました。特に自死の4日前にあった三回目の召還調査の際の表情や口調は、明らかに苦しそうだったのが印象的でした。

 こんな警察の姿勢に対し、過去に警察庁で人権委員を務めた人権運動家は「李善均は有名人だが公人ではない。(カメラの前に立たせるのは)大衆の好奇心を満たす側面があるかもしれないが、(社会に)知る権利は存在しない」と断じます。

 また「李善均さんが感じる苦痛は大きく具体的だ。一人の人権をめちゃくちゃに扱っていいものではない」と強く批判します。

 警察庁の規則ではフォトライン(カメラの前)に被疑者を立たせることを原則的に禁じています。

 さらに李善均さん側は三回目の召喚では非公開を要請していましたが、警察はこれを拒否しています。なぜかを聞く番組側に対し警察は要請の事実を認めつつ「格好がよくない」と説明したと明かしています。

 前出の弁護士は警察の一連の動きを「劇場型捜査」と称します。

 「世論を通じ被疑者を圧迫するもの。犯罪者のらく印を押し、圧力に耐えられなくなった被疑者の自白をうながすもの」という目的があるとしました。現に、李善均さんが召還される度に数十件の記事が書かれていたことも番組は示しました。

李善均であることが分かった23年10月20日から、自死する前日の12月20日までの記事量を表したグラフ。赤字が召還時の記事量だ。召喚が世間の注目を集めたのが分かる。番組をキャプチャ。

李善均であることが分かった23年10月20日から、自死する前日の12月20日までの記事量を表したグラフ。赤字が召還時の記事量だ。召喚が世間の注目を集めたのが分かる。番組をキャプチャ。

・心理学者が読み取る「絶望」と「恐怖」

 番組ではさらに、心理学者による李善均さんの様子についての分析を行っています。

 相談心理学の教授は「最初の召喚時は自身の誠実さや真情性が伝わると期待していたが、三回目の召還ではそうならないという不安が強く高まっている」と見立てています。

 前述したように三回目の召喚調査は自死の4日前です。

 この時の調査は19時間かかり、翌日の明け方5時に終わります。李善均さんは警察から出てきてすぐ記者団の前に立ち「記者のみなさん、長く待たせて申し訳ありませんでした」と発言しています。

 前出の教授はこの発言を「メディアが怖くて出たものではないか」と読み解いています。李善均さんはこの時すでに、メディアがいかに怖い存在なのかを十分に知っていたという見立てです。

 この三回目の召喚調査は李善均が告訴人として初めての調査を受けた時でもありました。キム氏を恐喝犯として告訴してから2か月が経っていました。

 調査を終えた李善均さんは「恐喝犯と私のどちらに信憑性があるか判断してください」と述べています。これについて別の心理学教授は「一回目の召喚時よりも三回目の方が怒っている印象がある。そしてこの時にはじめて『判断してくれ』と自分の意見を述べた」点に着目しました。

 さらに前出の心理学教授はこの発言について「(警察やメディアが)自身に友好的ではない、誠実に供述してもバランスが合わないという恐怖を三回目の調査で感じたのではないか。これが李善均さんが絶望した要点ではないか」と見立てています。

 なおこの三回目の召喚では19時間のうち、告訴人としての調査は90分だけでした。

 李善均さん側は翌日25日には嘘発見器の使用を要請します。この時の弁護人意見書には「捜査官がキム氏を下の名前で呼び、傾倒しているような言及が何度もあった」と書かれています。

 そもそも19時間の調査は合法なのでしょうか?

 李善均さんが亡くなった翌日、仁川警察庁長は「(李善均さん側が)一度で終わらせてくれと要請した。故人の要請と弁護人の同席のもと行われた」と明かしています。

 だが番組がコメントを求めた警察行政学科教授は「『今ここで何時間か追加でやるか、また改めて呼ぶか?』となったら選択肢がない」と警察の論法を批判していました。

李善均さんは三度召喚された。

李善均さんは三度召喚された。番組をキャプチャ。

・警察の無謀な競争がもたらす問題

 番組はここから、こんな警察の強引な姿勢がどこから来ているのか背景を調査し始めます。たどり着いた結論は「実績競争」でした。

 22年10月、政府は「麻薬との戦争」を宣布します。

 23年4月には尹錫悦みずから「皆で力を合わせて国をむしばむ麻薬犯罪を根絶させよう」と訴えかけます。

 これに合わせ警察庁長は麻薬撲滅の功績による特進者を「6倍に増やす」と発表します。そして翌月、大検察庁(検察庁本庁に相当)の麻薬・組織犯罪科は麻薬・組織犯罪部に拡大されます。こんな政府の措置により麻薬捜査が過熱した部分があるという指摘です。

 さらに番組は、22年から23年にかけて警察がいかに無理な麻薬捜査をしていたのかの一例を示します。

 一般市民が麻薬を投与された上に性暴力を受け、映像までもインターネットに流されてしまった事件を通報したところ、警察は被害者女性本人さらにその知人男性に対し、現場となったパーティールームにどのように麻薬(大麻)が供給されているのかを探るように頼んできたのです。

 「この捜査が成功すれば、(被害女性の)事件も自然と解決する」という具合です。

 危険を冒し知人男性が場所を突き止め通報すると、今度は「芸能人がパーティールームに来ないか」と別の捜査を始める始末です。この背景にも「実績競争」がありました。番組では「一般人の麻薬犯10人よりも有名人1人の方が考課に有利」という現職警官のコメントが登場します。

 結局、23年1月にこのパーティールームは摘発されましたが、被害女性の捜査は一部だけの起訴にとどまりました。

 捜査に協力する過程で被害女性を疑うパーティールーム側の男性が付きまとうといったストーカー容疑は嫌疑なしとなりました。知人男性の身元も割れ報復を恐れるなど、警察のずさんな措置が明かされます。この二人による異議申請によりようやく監察が行われているとのことです。

 また、23年10月には情報機関の国家情報院の情報源の一人が麻薬事件をねつ造した事件にも番組は触れています。これはすぐに国家情報院が謝罪することになります。

 さらに同月29日に起きたいわゆる『梨泰院惨事(梨泰院雑踏事故)』でも麻薬犯を捕まえるために多数の刑事が投入されましたが、麻薬犯の摘発はゼロで雑踏事故を防ぐことができませんでした。

 番組に登場する弁護士はこうした一連の流れの中で「李善均を捕まえられなかったらまずいという焦りがあったかもしれない」と指摘しています。

昨年10月28日、一度目の召喚に応じる李善均さん。番組をキャプチャ。

昨年10月28日、一度目の召喚に応じる李善均さん。番組をキャプチャ。

・共犯者として見透かされるメディア

 長くなりました。

 番組では最後に、メディアと警察の癒着について(ようやく)言及します。李善均が亡くなった翌日、仁川警察庁は「捜査事項の流出はまったくなかった」と発表します。なお、最初の報道(10月19日)がどんな経路から出たのかについては確認中とのことです。

 番組にはここで、ふたたび法科大学院教授が登場し「被疑事実公表は刑法で禁止されている」旨を強調します。これは捜査で得た情報を警察が公開してはいけないというものです。ちなみに刑法126条に明記されているにもかかわらず、誰一人罰せられたことがありません

 同教授は被疑事実公表について「世論や捜査・裁判に影響を与えるため、捜査機関が有罪を導く最も効果的な手段として利用している」と述べる一方で、「メディアも簡単に(捜査機関から)情報を受け取り、それを報道して世間の関心を引く。両者の利害関係が合う」という旨を強調します。

 極めつけは、韓国の警察トップ、警察庁長が李善均が亡くなった次の日の記者懇談会で発言した内容です。番組が引用した部分をすべて翻訳してみます。

(前略)いずれにせよ、本当に残念な選択であり、私は個人的に李善均さんをとても好きでした。しかし警察の捜査に間違いがあったため、あの方のあのような結果(自死)が出たかについては、庁長として全く同意しません。
あのような捜査を私たちが非公開でずっと進めていたならば、私たちは耐えきれません。事実、よくご存知でしょう。その事件を非公開の召喚の下で捜査する場合、それを許しますか?ははは

ユン・フィグン警察庁長(12月28日)

笑うユン・フィグン警察庁長。番組をキャプチャ。

笑うユン・フィグン警察庁長。番組をキャプチャ。

 どうでしょうか。警察トップがメディアに対し「お前達も共犯だろ?」と公開の場で言っているのです。

 番組では韓国映画プロデューサー組合代表が怒気と共に「これが今回の事件のすべて」とまとめています。「俺らが流してお前らが書いたんだろう」、「お前らはこういうのを望んでいるだろう」、「お前らは共犯じゃないかと言っている」と、その共犯性を強く指摘します。

 実は番組の要所要所で、1月12日に行われた記者会見の映像が挟まれていました。

 李善均さんが主演した映画『パラサイト』のポン・ジュノ監督や、著名俳優キム・ウィソン、著名歌手ユン・ジョンジンなどが壇上で「二度と同じことが起きてはならない」と警察とメディアに対し真相究明と自省を求めた会見です。これには2000人以上の芸能人・文化人が賛同しました。

 会見では特に「私的な対話を報道に含めたKBSは公営放送の名誉をかけて国民の知る権利のために報道したと確信できるか」と特定の報道に言及しました。

 KBSは日本のNHKにあたります。警察に提出されている証拠物、とりわけ事件と関係ない李善均さんのプライベートな会話をどこからか(警察でしょう)入手し報じるというのは、明らかに一線を越えています。

 ですが当時は、とりたてて問題視する声がありませんでした。私もまた同様でした。いかに社会が正常ではないのかが分かる出来事です。

1月12日に会見するポン・ジュノ監督。番組をキャプチャ。

1月12日に会見するポン・ジュノ監督。番組をキャプチャ。

 番組では司会者が最後に「被疑者の被疑事実を公表しこれを報じることは社会的な刑罰であり不利益です。有名人という理由だけで法廷に立つ前に犯罪者とらく印を押し、崖っぷちに追いやることがあってはなりません。この事件が捜査機関が被疑事実を漏らすことと、メディアの無分別な報道慣例を正すきっかけとなることを願います。それが二度と同じことを起こさないための道です」と述べ、「謹んで故李善均さんの冥福を祈ります」と終わります。

 長々と書いてきましたが、きちんと文字に残しておきたかったためこうしました。

 私は1月に李善均さんの自死現場を訪れたことがあります。ひっそりとした工事現場のフェンスの片隅で、亡くなる前に何を考えていたのだろうかと想像するだけで胸が痛みました。私も改めてご冥福をお祈りいたします。

番組の最後のシーン。「謹んで故李善均さんの冥福を祈ります」とある。番組をキャプチャ。

番組の最後のシーン。「謹んで故李善均さんの冥福を祈ります」とある。番組をキャプチャ。

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