※本コラムはニュースレター『新・アリランの歌』30号(24年1月20日)に掲載したものです。当時、韓国で公開されたものを観て書きました。日本で10月から上映されているということで、再掲します。

予告編。映画製作・配給会社スモモのページより引用。

 金大中(キム・デジュン、1924~2009)といえば、韓国では民主化運動の象徴の一人として、また執念で大統領にまで登り詰めた人物としてして知られている。生誕100年を迎えた今年、関連イベントや書籍の出版が相次ぐなか、ひと際注目を集めている映画が『オン・ザ・ロード 〜不屈の男、金大中(原題:길 위에 김대중)』だ。

 映画は全羅南道新安郡の荷衣島(ハウィド)に生まれた金大中が、実業家を経て政治の世界に足を踏み入れた1954年以降、独裁政権に対する闘争を続けついに民主化を勝ち取る1987年までの足跡をたどるものだ。

 金大中自身の回顧や当時の映像、一人目の妻と死別後に再婚した李姫鎬(イ・ヒホ、1922~2019)女史をはじめ元側近たちや専門家の証言を交え、50年代から80年代のかけての金大中の政治意識の変化を丁寧に追っている。

 政治家としての初期は苦難の連続だった。木浦市の新聞社を買収するなど順風満帆だった海運業を営む実業家生活を止め、「独裁とたたかう」と政治を始めるも落選に次ぐ落選。61年にようやく当選したら直後に朴正熙(パク・チョンヒ)によるクーデターが起き政治活動を制限される。

 次の見せ場は64年から65年にかけての日韓国交正常化交渉だった。朴大統領を「売国奴」と呼び反対する野党議員の中で、金大中は国益の観点から交渉に賛成した上で、植民地問題の清算などを交渉に含めることを朴大統領に求める合理性を見せた。

 71年に臨んだ朴大統領との大統領選での一騎打ちも、今では考えられないものだった。金大中の演説にたくさんの市民が集まる様子からは民主主義を求める当時の熱気が伝わってくる。クライマックスは100万人の市民が集まった奨忠壇公園での演説だ。今はどんな候補が演説しても1000人集まればよい方だからだ。

今年1月10日に韓国で封切りされた。大衆的な映画とは言い難いかもしれないが、観る価値は十分になる。韓国では約13万人を動員した。ミョンフィルム提供。

 映画は、政治家としての金大中の成長にも焦点を当ててゆく。自身の釈放を重要な要求の一つとして起きた1980年5月の光州民主化運動が弾圧されたことを、拷問を受けた中央情報部の一室で知り気を失ったエピソードをはじめ、命を狙われる民主化運動の各場面で、金大中がいかに強くなっていくのかが丁寧に明かされていく。

 しかし金大中が金大中たる所以は、そんな強さが「妥協」と「寛容」に収斂されていくことにある。

 光州民主化運動を弾圧した全斗煥大統領の赦免を後に行うなど、金大中はいかなる問題においても片方の陣営が消滅する形での問題解決はないということを誰よりも知っていた。これが他の政治家と一線を画すものだった。これこそが政治家・金大中が持つ最大の価値であり、韓国でいなくなったとされる「大人の姿」に他ならない。

 次作で触れられるだろうが、朝鮮戦争当時、木浦(モクポ)市で占領中の北朝鮮軍に逮捕され死刑直前で難を逃れた経験を持ちながらも、後に北朝鮮との和解協力を推進する点もこれに当たる。

 標題は「私は常に道の上にいた。呼ばれればどこにでも行った」という金大中自身の言葉によるものだ。民主化から35年を迎えた韓国政治は今、完全な分極化(陣営化)の中で青息吐息となり、少子化や格差拡大、地方消滅、そした南北分断といった根本的な社会問題への解決策を全く示せずにいる。まさに今「民主主義とは何か」、「議会政治とは何か」を問い直す時期に来ていることが自明な中、本作はそのための恰好の材料となるだろう。

 それにしても、金大中の歩みは韓国現代史そのものだと強く思った。本作は豊富な当時の映像を使っているため現代史を知るための一編としても有用だろう。日本では既に東京と大阪で試写会が開かれたようだが、広く観られることを望んでやまない。

配給会社sumomo リンク(公開劇場についても出ています)
https://www.sumomo-inc.com/ontheroad