12日、韓国の帰国し笑顔を見せるオ・ソンギュ氏。徐台教撮影。

8月13日午前、ソウルの金浦空港を通じ独立運動家オ・ソンギュ氏が韓国に入国した。

韓国の国家報勲部によると、1923年生まれで今年100歳となるオ氏は、満州国の奉天(現・瀋陽)の東光中学(1937年開校)を中心に秘密組織網を作り抗日運動を展開した。

その後、組織が露呈したことで満州を脱出し、安徽省阜陽市に存在した光復軍第三支隊に入隊、1945年5月に米韓合作特殊訓練(O.S.S訓練)を受け、朝鮮半島内での作戦を準備する中で解放を迎えたとされる。

なお、CIAの前身とされるO.S.Sでは特殊作戦を行う部隊として朝鮮半島出身の青年が訓練を受けていた。著名な部隊員として光復軍第二支隊の張俊河(チャン・ジュナ)や金俊燁(キム・ジュニョプ)などがいる。

オ氏は光復後、米軍政下の38度線の南側(現在の韓国)に「還国」した後、ふたたび中国に渡り、上海で僑民(同胞)の保護に当たったとされる。そしていわゆる「解放空間」での混乱を避け日本に逃れ、78年を過ごしたとのことだ。

この日、金浦空港では青少年の合唱団と海兵隊の儀仗隊がオ氏を出迎えた。オ氏はメディアの代表インタビューで韓国への永住帰国についての所感として「とても感謝している。感慨無量で言葉にならない」とし、帰国を決意した理由として「死ぬ時が近づいているからだ。死ぬならば祖国で死にたい」とはっきりとした声で答え笑顔を見せた。

韓国の国家報勲部は11日、朴敏植(パク・ミンシク)長官みずからがオ氏が住む東京を訪れ、この日共に帰国した。朴長官は「祖国のために献身した志士に対し無限に感謝し大韓民国で本人のお望みどおり最後の余生を平穏に送れるよう、最高の礼遇を尽くす」と明かしている。

オ氏はこの日の帰国後、ソウル顕忠院を訪ね、光復軍第三支隊の金学奎(キム・ハッキュ)隊長の墓地の前で帰国の報告を行った。14日に健康診断を行い、異常がなければ15日の光復節の国家行事に参席する。

国家報勲部によると、オ氏の帰国により韓国で生存する独立運動家は8人となった。米国に1人が居住中という。オ氏は1990年に建国勲章愛族章を授与されている。当時は独立運動当時の仮名であるチュ・テソク名義だった。

記念撮影を行うオ・ソンギュ氏。徐台教撮影。
インタビューを受けるオ・ソンギュ氏。徐台教撮影。
13日午前、金浦空港を通じ帰国するオ・ソンギュ氏。多数の市民が出迎えた。徐台教撮影。
国旗を前に敬礼するオ・ソンギュ氏。徐台教撮影。