※本記事は有料ニュースレター『新・アリランの歌(現:コリア・フォーカス)』第77号(25年9月15日発行)に掲載されたものです。

今回、韓国の李在明大統領が光復節の慶祝辞で「親日財産帰属法(正式名称:親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)」に触れたことから、一般公開します。

ドキュメンタリー『忘れられた売国の城 朝鮮貴族の遺産追跡記』(KBS時事企画‘窓’、25年8月19日)

番組タイトル。以下、画像はすべてKBSの同番組をキャプチャしたもの。

毎号恒例のドキュメンタリー企画。

今回選択したのは、日本のNHKにあたる韓国KBSの時事ドキュメンタリー枠「時事企画‘窓’(시사기획 창)」で8月19日に放送された『忘れられた売国の城:朝鮮貴族の遺産追跡記(잊혀진 매국의 성:조선귀족 유산 추적기)』です。

番組はソウル市の玉仁(オギン)洞を背景に始まります。西村(ソチョン)とも呼ばれるソウル北部のこの地域には以前、「城」がありました。上記の番組タイトルにある建物です。

1950年代以降は同名の国連機関が利用したことから「アンカーク(U.N.C.U.R.K、国際統一復興連合会)」とも呼ばれていたこの建物の正式名称は、「碧樹山荘(ピョクスサンジャン)」と言います。

「碧樹」というのは、尹徳栄(ユン・ドギョン、1873〜1940)の号です。この「城」は尹徳栄が建設したものです。

在りし日の「碧樹山荘(ピョクスサンジャン)」。1973年の撤去前と見られます。

尹徳栄はひと言で大日本帝国に積極的に協力した「親日派」でした。

姪が大韓帝国最後の(二代目の)皇帝、純宗(スンジョン)の妻・純貞孝皇后(スンジョンヒョファンフ)であったことから、国政に介入し、李完用(イ・ワニョン)、宋秉峻(ソン・ビョンジュン)らと共に、大韓帝国滅亡の音頭を取りました。

尹徳栄は韓日併合条約が成立する1910年8月29日に合わせ、姪である皇后から玉璽を奪い、大日本帝国に捧げた人物です(なお当時、国璽は押されていません)。

尹徳栄はこうした功を認められ、1910年10月、天皇から貴族に封じられます。いわゆる「朝鮮貴族」です。尹徳栄はこの時、現在のお金で約8500万円ほどの恩賜金を得ました。当時、16人に約77億円の恩賜金がありました。

中央が尹徳栄。

番組に登場した専門家によると、こうした大日本帝国の動きには、「併合が合法的であった、支配層が望んだことだ」という正当化を目的とする狙いがありました。

尹徳栄はこの金を元に土地を買い、「城」を建設したのでした。背景には総督府による土地調査事業があったとされます。

近代化の名の下で土地を「政府」が管理するのですが、実際には地主や特権層の独占となりました。この恩恵を朝鮮貴族が得るのです。土地に値段が付き、上がり、この過程で朝鮮貴族が大儲けしました。「韓国史上最大の投機場だった」と番組の中で専門家が振り返るほどです。

なおこれも、「日本に協力すると良い暮らしができる」と、日本の帝国主義を崇めさせるための手段であったと番組では位置付けています。

番組の舞台はソウルを離れ、京畿道の抱川(ポチョン)に移ります。この地の地主もまた、朝鮮貴族でした。その名は李海昇(イ・ヘスン、1890〜1950?)。

朝鮮王朝に連なる人物ですが、尹徳栄と共に「売国」を行ったばかりか、1942年には朝鮮貴族会会長を務め、太平洋戦争への協力を朝鮮人に呼びかけた人物として知られています。

なお、死没年は明らかになっていません。朝鮮戦争当時、北朝鮮に拉致されその後、行方不明になっています。

李海昇。清豊君(チョンプングン)とも呼ばれます。

現在、李海昇の孫は、ソウルにホテル(スイスホテル)を経営する他に、抱川ほか韓国各地に広大な土地を所有していました。尹徳栄と同様に土地調査事業を通じ、土地を得たのです。その土地は過去、最大で356万坪、1175万平方メートルに及びました。

土地は韓国の開発と共に売られ、膨大な利益を生み出しました。

李海昇が所有していた土地。韓国各地で合計356万坪に及びます。

番組でも他にも、植民地時代の地籍原図を元に、朝鮮貴族の足跡を追っていきます。全国の土地の中で、朝鮮貴族137人の名前が占める面積を割りだしたのです。気の遠くなる作業です。

調査の結果、確認できる範囲で、朝鮮貴族49人が合計2858万坪を所有していました。

下図は、朝鮮貴族が所有していた土地の多寡を色の濃淡で示したものです。濃いほど多いということですが、人口の多い首都圏、交通の要衝である中部地域に集中していることが分かります。価値のある土地を、朝鮮貴族が押さえていたということです。

ソウルや首都圏が最も濃い。

1945年の植民地からの解放後にも、朝鮮貴族はこの力を維持し続けました。

1948年、韓国初の国会に「反民族行為特別調査委員会」が設置され、親日派を断罪しようとする動きがありました。ですが権力維持のため親日派の協力が欠かせなかった当時の李承晩大統領は、これを妨害し、廃止させました。

他方、民主化後の1990年代に入り、親日派の子孫が、失われた土地を探し始めます。裁判所は積極的にこれに応えますが、世間では反対世論が巻き起こります。

日本に協力し国を売り渡した親日派の財産を没収できないものか。その動きが形になったのは06年のことでした。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で「親日反民族行為者財産調査委員会」が設置されたのです。

同委員会が発足した際の様子。

標的は李海昇など元「朝鮮貴族」の土地でした。ですが、この子孫たちも対応を急ぎます。国家との間に訴訟合戦も起きます。

李海昇の子孫は、同委員会が親日行為の根拠とした「韓日合併の功により爵位を受けたりこれを継承した行為」という文章を取り上げ、訴訟を起こします。

1910年当時、20歳だった李海昇には「功」が存在しなかったという主張です。一審では棄却されますが、二審では李海昇の子孫側が勝訴します。大法院(最高裁)でこの判決は確定します。政府も訴訟を起こしますが敗訴しました。

結局、16年の訴訟の末、李海昇の子孫から国家が還収した土地は4平方メートル(!)でした。

番組には他にももう一人の朝鮮貴族・金甲淳(キム・ガプスン、1872〜1960)も登場します。

同様に、子孫が大田(テジョン)市で土地の権利を主張し、学校と争っています。この土地は元々、尹徳栄の土地でもありました。裁判所は学校側を支持しましたが、今なお、裁判は続いています。

こうした出来事の背景には、前出の「親日反民族行為者財産調査委員会」が06年当時の土地所有状況だけを対象にしたことがあります。

植民地時代に朝鮮貴族がどう土地を得てきたのかを調査することができれば、状況は変わっただろうと番組内で関係者は悔やみます。法が発効するまでのわずかな期間に、慌てて土地を処分した「朝鮮貴族」の子孫も多かったそうです。国に没収されてたまるか、ということでしょう。

番組の最後には、イ・ジョンウォンという人物が登場します。独立運動家、李哲栄(イ・チョリョン、1863〜1925)の孫です。李哲栄は、李始栄(イ・シヨン)、李会栄(イ・フェヨン)の兄弟として知られる人物です。

彼ら六兄弟は1910年に国が奪われるや、全財産を処分し満州に渡り、武官学校を作るなど独立運動に身を投じます。その財産価値は現在の価値で約2000億円とも言われ、知らない韓国人はいないほど有名な話です。

イ・ジョンウォン氏

ですがイ・ジョンウォン氏は今、小さな家で裕福ではない暮らしを送っています。番組では「朝鮮貴族」の子孫と対比させる目的で、同氏を取り上げているようでした(なお、李始栄や李会栄の子孫は国会議員になるなど出世しています)。

番組では最後に「大韓民国政府は朝鮮貴族の遺産がどこに、どれほどあるのか知らない。光復80年、この土地の完全な主人はまだ定まっていない」という字幕と共に終わります。

改めて、今年は植民地支配からの解放(光復)80年です。KBSがこうした番組を作るのを見ると、「ああ、本当に韓国と日本の現代史は異なるのだなあ」としみじみ思います。番組のYouTubeリンクを付けておきます。全編YouTubeで見られます。