18年9月19日、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の平壌にある迎賓館・百花園に並んだ南北首脳は『平壌共同宣言』に署名した。6項目からなる同宣言では、南北の緊張緩和・経済協力・非核化プロセスといった内容での前進が明記された。

あれから5年、文在寅政権の後半からすれ違いが続いていた南北関係は極度の緊張状態が続いている。大統領選の期間中から「反共」を掲げてきた尹錫悦政権と、韓国に見切りを付けた金正恩氏は互いに互いを「敵」と明記し、一触即発の対立を続けている。

そのためか、『平壌共同宣言』から丸5年を迎えた23年9月19日に行われたシンポジウムは朝鮮半島平和プロセスを推進してきた政治家や専門家が勢揃いする場となった。とりわけ、文在寅前大統領が22年5月の退任以降はじめてソウルを訪れ出席し注目を集めた。そのスピーチ内容を全訳した。

19日、『9.19平壌共同宣言』記念行事でスピーチする文在寅前大統領。主催者提供。
19日、『9.19平壌共同宣言』記念行事でスピーチする文在寅前大統領。主催者提供。

<9.19平壌共同宣言5周年記念式のご挨拶>(文在寅)

1.
皆さん、こんにちは。久しぶりに喜ばしい方たちに会えて、とてもうれしいです。退任後、ソウルにきたのは初めてです。公式的な行事で、挨拶の言葉を述べるのも初めてです。その初の行事が『9.19平壌共同宣言』5周年記念式であることが、とても大切です。

意義のあるイベントを共に準備してくださった記念行事準備委員会と金大中(キム・デジュン)財団、盧武鉉(ノ・ムヒョン)財団、光州広域市と京畿道、全羅南道、全羅北道、済州特別自治道、フォーラム四宜齊(サウィジェ、文在寅政権の高官たちによるシンクタンク)と韓半島平和フォーラム、さらに後援してくれたフリードリヒ・エーベルト財団に深く感謝致します。

2.
一方で、いつそんな日があったのかと思うほど破綻した現在の南北関係を考えると残念で複雑きわまりありません。

平壌の共同宣言でもっと進度を出すことができなかったこと、実践的な成果として不可逆的な段階にまで行けなかったことが返す返す残念です。

2008年10月に開かれた『10.4共同宣言』1周年の記念行事の際に盧武鉉大統領が話されたことが思い出されます。

韓半島の平和のために『10.4共同宣言』という大切な一本の木を植えたのだが、人々が水を与えず、木が枯れるていると嘆く言葉でした。

しかし、10年後の2018年4月27日、南北が、板門店で再び向かい合った時、そして9月19日、平壌で会合が続いた時に、11年の空白はもはや障害とはなりませんでした。

南と北は当然なことのように『10.4共同宣言』を交渉の出発点とし、より発展した合意へと進むことができました。

『10.4宣言』は決して枯れたのではなく『板門店宣言』と『9.19平壌共同宣言』として、ふたたび咲き始めました。

振り返ってみると『10.4宣言』だけがそうだったのではありませんでした。

朴正煕(パク・チョンヒ)政府による『7.4南北共同声明』(1972年)に始まり、盧泰愚(ノ・テウ)政府の『南北基本合意書』(1991年)、金大中政府の『6.15共同宣言』、盧武鉉政府の『10.4共同宣言』、文在寅政府の『4.27板門店宣言』と『9.19平壌共同宣言』まで歴代政府は長い空白期間を越え、リレーを続けてきました。

リレーが続くたびに南北関係は発展して平和に進展がありました。南北単一チームが作られ、北韓(北朝鮮)の選手団と応援団が南韓(韓国)に来て、開城(ケソン)工業団地が稼動し、韓国国民200万人が金剛山(クムガンサン)観光に行ってきました。

しかし、旧時代的で対決的な冷戦イデオロギーが私たちの社会を支配するとき、リレーは長時間中断されてきました。

そんな時には南北関係は破綻し、平和の代わりに軍事的緊張が高まりました。天安艦被撃(沈没)事件と延坪島砲撃事件、木箱地雷事件が発生し、大切な将兵と国民が犠牲になりました。

私たちと違って、過去、西ドイツは政権が変わっても理念と関係なく、東方政策と東ドイツ包容政策が中断なく続いていきました。

その結果、東欧の崩壊が始まった時に東ドイツの国民は当然のように西ドイツの優越な体制を選択し、自発的な平和統一を成し遂げることができました。

私たちも、リレーが中断なく続いていたならば、南北関係は今と完全に変わっていたでしょう。南北は共存し、平和を育てたでしょうし、いつか平和的な統一を期待できるようになったはずです。

『平壌共同宣言』もまた後日、冷戦的理念よりも平和を重視する政府がリレーを続ける際に、より進展した南北合意として花咲くことになるでしょう。

また、リレーの空白期間が短いほど韓半島(朝鮮半島)の軍事的危機は低くなるでしょうし、南北はそれだけ平和に近づくことになるでしょう。

これが『板門店宣言』と『平壌共同宣言』がこんにち、私たちに与えてくれる一つ目の教訓です。

3.
『板門店宣言』と『平壌共同宣言』が私たちに与えてくれるもう一つの重要な教訓は「平和が経済」という事実です。

私は、対北包容政策と平和繁栄政策を説明するたびに「平和が経済」という言葉を使ってきましたが、平和を通じて経済をさらに繁栄させるという未来の目標として受け入れる人が多かったです。

しかし「平和が経済」というのは、未来の目標ではなく、すぐ目の前の現実です。文民政府が始まった金泳三(キム・ヨンサム)政府から今の尹錫悦政府まで、歴代政府をマクロに比較する場合、リレーを続け南北関係が相対的に平和だった時期の経済の成績が、そうでなかった時期より常に良かったのです。

私たちは今、世界10位圏の経済強国と話していますが、実際に私たちの経済の規模、つまりGDPが世界10位圏内に進入した時期は盧武鉉政府と文在寅政府の時だけです。

昨年、韓国の経済規模は世界13位を記録し10位圏から押し出されました。

一人当たりの国民所得を見ても金大中、盧武鉉、文在寅政府の間に最も大幅に増加しました。

盧武鉉政府は国民所得2万ドル時代を、文在寅政府は国民所得3万ドル時代を開きました。

反面、リレーが中断されていた政府の間には、国民所得が停滞したり、ひどい場合には減りました。

文在寅政権の最後の年である2021年に一人当たり国民所得は3万5千ドルを超えていましたが、昨年は3万2千ドル台となり、国民所得が落ちました。

その理由について、為替のためと(尹錫悦政府は)説明していますが、為替レートが高くなったということ自体が、韓国経済に対する評価がそれだけ悪化したということを意味します。

そのためリレーが中断される場合、(過去にも)為替相場が高まったりしました。

その点をより明確に示してくれるのが、国家不渡り危険指数すなわち「CDSプレミアム指数」です。

その指数が最も低かった時期も盧武鉉政府と文在寅政府の時でした。盧武鉉政府と文在寅政府の時に、韓国経済の信用度がもっとも高かったという意味です。文在寅政府ではCDSプレミアム指数が最も低く下がり、国債発行金利がマイナスになった事例までありました。昨年、CDSプレミアム指数が再び大幅に上がりました。

文在寅政府ではその他にも、輸出増加、貿易収支の黒字規模、外貨保有高、物価、株価指数、外国人投資額などほとんどの経済指標が今よりよかったです。

国家の負債をたくさん増やし赤字財政の効果だったと言う人もいます。しかし、文在寅政府は新型コロナが起きる前の2年間、史上最大の財政黒字を記録しており、赤字財政は他の全ての国と同様に、新型コロナの流行期間中に国民の安全と国民生活を守るためのものでした。

それだけでなく、新型コロナの流行期間中にもOECD国家のうち、国家負債率増加が最も低い水準を記録し「危機に強い大韓民国」の面目躍如でした。

むしろ財政赤字は現政権でさらに大きくなったのですが、赤字の原因も景気低迷による税収減少と富裕層の減税という点で根本的な違いがあります。

韓国は盧泰愚政府が北方政策により中国、ソ連、東欧諸国と国交を樹立したことで本格的な開放通商国家の道を歩むことになり、世界で貿易依存度が最も高い国に属します。

したがって、平和な南北関係の中で周辺国とバランスの取れた外交を展開する時にコリアリスクが減り、輸出経済も活気を帯びるものです。

陣営外交に過度に偏り、外交のバランスを崩すならば安全保障と経済で得るよりも多くのものを失う可能性があります。

同盟を最大限重視しながらも、バランスの取れた外交を展開していく繊細な外交戦略が必要です。

「平和が経済」であるだけに、韓国経済のためにも『9.19平壌共同宣言』のリレーが一日も早く実現しなければなりません。

4.
『板門店宣言』と『平壌共同宣言』が私たちに与える教訓としてもう一つ申し上げたいことは、南北間で対話ができない時期はないということです。

今、南北関係がとても危険です。北韓の相次ぐ挑発に加え、最近の外交の行動までもが韓半島の危機を大きくしています。

今は会話をする雰囲気ではないように見えます。しかし振り返ってみると、文在寅政府が発足した2017年の状況は今よりずっと厳しいものでした。

北韓の度重なる核実験、短距離から長距離まで日本列島を越えて米国まで射程距離を伸ばしていく相次ぐミサイル挑発、それに対応してますます強力になっていった国連安保理制裁と「最大の圧力」による隙のない韓米共助、北米(朝米)間の険悪な「言葉のバクダン」などにより、韓半島の危機がますます高まっていました。

外信は連日、韓半島に戦争の暗雲が立ち込めていると報じました。当時、米国が軍事的オプションと戦争シナリオを検討するという情報がありましたが、その後、米側関係者の証言によって事実と確認されました。

当時の韓半島の戦争危機が実際の状況だったということです。

しかし、文在寅政府は危機の末には必ず対話の機会が来るであろうし、危機が深まるほど対話の機会が近づいてくると信じ、対話の準備をしました。南北関係の危機が衝突に突き進むのを防ぐ道は対話の他にないからです。

国連安保理による制裁が強力に作動している状況で『韓半島平和プロセス』は非核化ロードマップと共に進むしかありません。

北韓との対話もまた米国と共に行わなければなりません。

文在寅政府は2017年6月に開かれた第1回韓米首脳会談で、韓半島の非核化を平和的な方法で達成するという原則と共に、北韓に対する制裁が外交の手段であり、米国が韓国政府の対話の努力と主導的な役割を支持するという合意を導き出しました。

そしてその土台の上で真摯な対話のための努力をした末、ついに南北対話と米朝対話を牽引することができました。

現在続く北韓の挑発に断固として対応しなければなりません。しかし結局は対話を通じて南北関係の危機を解決していくしかありません。

挑発に対する断固たる対応と共に、一方では真摯な対話の努力により危機が衝突に突き進むのを防ぐ知恵を発揮しなければならないでしょう。

5.
『9.19平壌共同宣言』の最も重要な成果は、付属合意書として締結された南北軍事合意でした。

NLL(北方限界線)を含む非武装地帯を平和地帯へと変え、陸上、海上、空中において一定の区域の軍事運用を統制することで、接境(南北は国境と呼ばない)地域での偶発的な軍事衝突の可能性を防止する目的を持ち、南北間で史上初めて締結された具体的な軍備統制合意でした。

北韓の挑発が続き、軍事的緊張が高まり『9.19平壌共同宣言』が揺らいだことで南北軍事合意も揺れています。

ついには政府・与党が軍事合意を破棄すべきと述べ、廃棄を検討するといった声が上がっています。

しかし、南北軍事合意はこれまで南北間の軍事的衝突を防止するために重要な役割を果たしてきました。

文在寅政府の間、南北間でただの一件も軍事的衝突が発生しておらず、それによって犠牲になった人もいませんでした。

歴代政府のうち一件も軍事的衝突がなかった政府は、盧武鉉政府と文在寅政府だけです。

南北関係が再び破綻を迎えている今も、南北軍事合意は南北間の軍事衝突を防ぐ最後の安全ピンの役割を果たしています。

南北軍事合意を廃棄するということは、最後の安全ピンを取り除く無責任なことになるでしょう。

南北のいずれも、関係が悪化し軍事的緊張が高まるほど軍事合意だけは最後まで守り遵守し最悪の状況を防ぎながら、対話の糸口を見つける必要があります。

そしていつか非核化問題が解決されるならば、南北間でも軍事合意をさらに発展させ、通常軍備まで縮小する段階に進むことを願ってやみません。

『9.19平壌共同宣言』の教訓を語りながら、歴代政府の安全保障と経済も少し振り返ってみました。

今や文民政府から現政権に至るまで、歴代政府の安全保障における成績と経済面での成績を比較できるようになりました。

ひと言で金大中、盧武鉉、文在寅と続いた進歩政権において安全保障の成績も、経済の成績もずば抜けて良かったことを確認できます。

「安全保障は保守政府が上手だ」、「経済は保守政府がより良い」という捏造された神話から抜け出す時が来たということを、最後に強調したいと思います。